■本質を究める 65 青春の想い出 (No.549)

若かりし青春時代は懐かしいものである。記憶にあるものもあれば,懐かしいモノが残っていることもある。高校時代の同窓生や大学時代の仲間と会う機会があり,50年以上も前の記憶が蘇ってきた。

  大学の仲間と

大学は工業系だけの単科大学であり,40人のクラス仲間の殆どが遠方より来ており,下宿生活をしていたので,下宿を往き来したりして,随分親しい仲間達だった。大学院へ行く者,就職する者と分かれ,当時は40人のクラスに就職先が200社以上もあると云う贅沢な時代で,しかも一流と云われる大企業に人気が集中し,同じ大企業に2,3人が行くと云う,今では想像できないような時代で,大学院を経て卒業した者も,大企業に就職し,結果的にはクラス全員が一流の大企業に落ち着いた。

卒業後の交流は殆ど無く,恩師の叙勲記念に10数名が集い,その後暫くして,初めての同窓会を開き,そのときは30名近くが集った(No.249)。それ以来,関西に在住するクラス仲間が9人おり,年に2,3回,集まることになっている。飲み会がメインだが,桜や紅葉の季節には景色を楽しむことも兼ねて懇談している。

卒業してほぼ50年と半世紀にもなり,想い出は遠い昔になってしまっている。たまたまいろいろなものを整理していたら,大学時代の旅行の写真の一部と旅日記が出てきたので,持って行き,約20日間の北海道旅行の毎日の記録が大学ノートに残っており,一緒に行った仲間が一人おり,50年前の出来事を懐かしく振り返っていた。クラス仲間も一緒には行っていないが,北海道には行ったことのあるものが多く,話題が尽きなかった。

  高校の同窓会

高校の同窓会については,このエッセイの中でも紹介したことがあるが(No.368),卒業30周年以来,5年おきに開催してきたが,50周年を過ぎ,70歳を越えてきたので,3年に1回の開催にとの声があり,この9月に開催された。殆どが現役を引退したこともあり(未だそれでも自営業や会社役員として頑張っている者も中には居るが),平日に開催された。それでも,120人が集い,東京方面からも出てきた人もかなり居た。

約3時間ほどの集まりで,話題は尽きず,2次会へと。顔と名前が一致しないのはいつものことであるが,全員に名札を配って,お互い名前を確認しあえるようにはされている。私は今回も,写真係でみんなのスナップ写真を撮りまくっていた。それも,同窓会のホームページを運営している都合上,その場の雰囲気を参加できなかった人にも伝えるためである。

前回もトライしたが,今回も撮ったクラス毎の集合写真に全員名前を入れると云う荒技を試みた。もちろん,私自身が全員の名前を知っている訳ではない。1/3以上は知らない,特に女性は姓も変わっているので,大半が判らなかったが,参加者名簿と名札(拡大して確認),それに判った人から差し引いて残った人の名前を確認するなどして,全員の名前をホームページ上に掲載した。

結構,名前を確認したいとの声が多く,前回よりこうした試み(実際にはなかなか大変な作業なのだが)をして,皆さんに喜ばれている。

  想い出を懐かしむのは年老いたこと

50年も前のこと,青春時代を思い起こして懐かしんでいるのは,年老いた証拠でもある。仕事をバリバリやっているときは,懐かしい想い出に耽ることはあっても一瞬で,先のこと,将来のことを考えていた。毎日が無我夢中のときである。しかし,70歳も過ぎると昔の想い出が懐かしく,記憶は定かでないのに懐かしさに浸る瞬間が,何とも言えない快感でもある。

将来を見据えることは少なく,過去を振り返って楽しむのは年老いた侘びしさでもある。70歳を過ぎたと云え,まだまだこれからの人生もある。長くは無いかも知れないが,単に過去を振り返る人生ではなく,これからの余生を先を見て過ごしたいものである。趣味三昧に明け暮れる毎日,人の役に立つ仕事はできなくとも,楽しい将来を夢見ながら過ごしたいものである。

 

以前へ 本質を究める 64  次へ 本質を究める 66  

 

[Reported by H.Nishimura 2017.10.09]


Copyright (C)2017  Hitoshi Nishimura