■本質を究める 66  (No.554)

物の価値は需要と供給のバランスで決まる。需要>供給となれば価値が上がり,需要<供給となれば価値が下がる。価格はこうした需要と供給のバランスしたところに落ち着く。

  骨董品の価値

実家の古いものを整理する機会があり,自分たちで使えるものは予め取り除いて,古美術商と云われる専門家に見てもらった。土蔵に残ってあった古いものの価値が有るか否かを知るために依頼した。近くの古美術を専門に扱っている店だったが,めぼしい物は殆ど無く,価値が全く無いに等しい見定めだった。こちらも,要らない廃棄するものなので,そんなものかと思っていたが,念のため,違う骨董品を扱う店の方に同じ物を見てもらった。

すると,最初の古美術商は殆ど価値がないと云っていた品物でも,価値があるとの見定めだった。古い着物類でも絹の混じったものよりも,木綿の着物の方が利用価値があるとのことで,素人の我々が思っているのとは違った見方をされていた。古い物でも木綿だと洗ってもしっかりしていて利用できるとのことで,価値を見出していただいた。時間が経過しても,利用したい人が居るものには価値があり,誰も利用しないものには価値が付かないものなのである。

これは,使用していた当時の価値とは全く違ったものである。よく見掛けるのがオークションなどで古い希少価値のあるものは高価な価値が付くことがあるが,それとは違った意味で,希少価値はそれほど無いものである。当時のままで,現在でも利用できると云う点での価値であって,古いから価値が出ると云うものではない。また,古い家具でも,数年前までは時代劇に出てくるようなものは結構需要があり,高価な値段が付いていたようだが,昨今ではそうでは無くなったようである。詳しい理由は分からないが,需要が無くなったようである。

とにかく,骨董品の価値は我々素人には判断できないものがある。

  新製品の価値

新しいものに飛びつく人が居る。新製品が発売されると店先に並ぶ,或いは徹夜をしてまで買い求めるニュースがときたま流れる。新しい機能や新しい感覚を一番に味わいたい人達である。彼らは値段以上の価値を見出して買い求める。他の人にとっては,それほどの価値を感じないものであっても,彼らには違う感覚があるのだろう。

一時のブームで話題を呼ぶこともあるが,やがては落ち着き,早いものは直ぐにその価値が落ち,価格も下がって行く。つまり,物の価値は時間と共に変化して行く。時間が経ったから機能が落ちた訳ではない。全く初期と同じ機能のものであっても,時間と共にその価値が変化するのである。つまり,一番最初に手に入れた人と,十分行き渡ったところで手に入れた人では,その満足感が違うのだろう。これ即ち,人の満足感の大きさが価値を決めているように思える。

確かに,物の価値はその人がどう見るか,どれだけの価値を感じるかで大きく違い,一概には言えないものである。同じ値段の物であっても,自分が満足できるものであればその価値を十分認め,不満足に感じる人は,それだけの価値が無いと不満を漏らす。満足と不満足とがバランスしたところが,一般的に認められた価格に落ち着くようである。これは,見方を変えれば需要と供給のバランスでもある。

  価値観の変化

物の価値を決めるのは,その人の価値観である。しかし,この価値観はいつまでも不変的なものではなく,変化するものである。ここでは価値観について云々するつもりはない。物の価値を考えるとき,人の価値観によって大きく影響されることを述べたいだけである。つまり,その人の行動やライフスタイルなどによって価値観はいろいろな多様性があり,そのことにより物の価値も見方次第で変わってくるものである。

価値観は時代と共にも変わって行く。したがって,同じ物でも時代によって価値を見出されることが起こってくる。或いは,価値観は人の成長と共にも変化するものであるので,物の価値の見方も年齢と伴に変遷して行くことがある。

物の価値とは複雑なものである

 

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[Reported by H.Nishimura 2017.11.13]


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