■42年振りの同窓会 (No.249)
大学を卒業したのが1969年(昭和44年)だから,42年振りの同窓会があった。これまで関西での同窓の仲間数人の集まりは何度か繰り返していたが,一度クラス全員の同窓会をやろうと,大学のあった名古屋に集合した。
工業の単科大学で40人クラス(実際は卒業生は37人)だったので,本当に気心の知れた仲間である。卒業後は大半が東京方面と関西方面に分かれて就職,或いは大学院へ進学。大学院へ進学した仲間もその後,やはり東京或いは関西方面へ就職しているので,名古屋に残っているのはほんの2,3人しかいない。名古屋在住の幹事が全員に声を掛け,42年振りとあって懐かしい想い出に23人が集まった。
卒業以来初めて会う人が半数以上いたが,名前がすぐ出てこなかったのはほんの1,2人で,殆どが昔の面影が残っていたり,卒業当時のままですぐ判る仲間だった。といっても全員で40人弱なので名前も顔も覚えて居ない人は一人も居ない。頭には白髪が混じったり,或いは大分頭のてっぺんが薄くなっている人も居るが,話し出すと当時の懐かしい話題で持ち上がる。当時流行っていた合コン(男子ばかりだったので女子大とのコンパを盛んに行っていた)で知り合った女性とそのまま連れ添いになった人も何人か居る。殆どが孫が居る年金生活者で,未だ現役でバリバリ頑張っている仲間も数人いる。
所謂,団塊の世代(厳密には,昭和20−22年生まれなので団塊世代の前)で,高度成長期の日本の成長を担ってきた面々で,まだまだ老け込むには惜しい年代だが,約半数がのんびりした年金生活を送っていると云う。確かに,今日の世の中,若い人でもなかなか働き口が無いのだから,65歳前後の仲間に働き口がころがっているわけではない。だが仲間の面々の話を聞いていると,これまでの各々の経験を寄せ集めれば,十分世の中の役に立つことができる人ばかりである。年金生活者を支える働き手が少なくなり,年金支給を68歳まで延期する検討もされている中,働き口さえあればまだまだバリバリ仕事ができるように感じる。
42年振りなので,各々が簡単に自己紹介ならぬ,卒業以来の話から最近の話までをすることから始まった。我々が卒業した時代は,高度成長期に向かった60年代末で,クラスに就職先が200社以上,それも一部上場の企業ばかりで,それでもやはり大手電機メーカに就職先が集中,一社に2〜3人採用するところもあり,10数人の大学院へ進学(それも半数以上が他の大学)を除くと,殆ど全員が大手電機メーカへ就職するという,今では考えられないような時代だったのである。もちろん,現在は一部大学教授や関連会社の役員,或いは特許関係の弁理士をしている仲間を除くと殆どがリタイヤして懐かしき良き時代を想い出としている仲間である。
短時間の中では余り専門的な話題は出なかったが,各々その分野では一流を極めた強者ばかりで,その分野で論じさせたらなかなか話が止まらないだろう。昨今の政治,経済の動向を見ていると,なかなか停滞した状態からの脱皮ができず何一つ前に進まないもどかしさを感じている。特に総理大臣の任期が平均すると1年も持たないと云う不安定さが五代も続き,政権交代した民主党も不甲斐なさばかりが目立つ。我々同窓のこのメンバーをブレーンにすれば,政治にはそれほど強くない面々でも,経済的な観点では前に転がせる専門知識と行動力は今以て十分健在である。昔話の話題が尽きなかったが,まだまだ第一線でも活躍できる人材の宝庫である。
我々20数人が集まっただけでも現役時代を彷彿とさせるエネルギッシュな団塊世代で,日本の各地に多くのこうした逸材が,苦悩している日本のお役に立たずに眠っていることは日本の大きな損失のようにも感じてならない。もちろん,我々が出しゃばることは,若い人の伸び代を摘むことにもなるので,そこのところは十分配慮しなければならない。42年振りに会った同窓会の仲間を見ながら感じた次第である。
団塊世代のパワーはまだまだ見捨てたものではない!!
[Reported by H.Nishimura 2011.12.12]
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