■技術者の眼 7 特別警報  (No.587)

最近やたらに特別警報を耳にする。今回の西日本を中心とする豪雨で被害が拡大し,被災された方にはお見舞い申し上げます。マスコミの報道によると,西日本の殆どの府県で災害が発生し,死者行方不明者が100人強にも及ぶ大災害である。

  特別警報

特別警報が定められたのは,2013年で最近のことである。それまで,大雨警報,大津波警報など重大な被害に及ぶ畏れがあるとき,発令されていたが,必ずしも住民の迅速な避難に繋がらなかった例を基に,災害に対する危機感を伝えるために,制定されたものである。

最近,50年に一度の災害の危険が迫っていると特別警報を耳にするようになったが,余りにもよく耳にし慣れっこになってしまった感が否めない。確かに,気象庁としては被害の拡大を回避するため,できるだけ速やかに確実に情報を発しているのだろうが,そんな頻繁に50年に一度のような被害が発生しようとしているのだろうか?

これもマスコミの情報でしかないが,被害に遭遇された方は殆どが口を揃えて,今まで経験したことのないことが突然襲ってきたと言われている。地球の温暖化の影響など,被害の要因についていろいろ言われているが,なかなか人が推測できないことが起こっているように思われる。ただ,自然環境の変化もさることながら,人的被害とも思われる立地条件に恵まれない中でも宅地造成などが強引に行われているような例も耳にする。

また,最近は情報伝達が発達し,警報が発令されると,否応なしに携帯が反応し知らせる仕組みができあがっている。確かに,有効な手段ではあるが,余り頻繁に鳴ると,またか,とついつい情報を疎かにしてしまうのも人間の習性である。特別警報が本来の主旨に合致した危機感が上手く伝えられるものにしたいものである。

  何故,避難しないのか?

テレビなどに映される情報は,極端なものが多いが,何故,素早く避難をされなかったのだろうか?と疑問が沸く。今回の豪雨でも,私の住む枚方市でも,避難指示が出ているところがあった。市のホームページを覗いてみると,避難指示(避難勧告ではなく)が出ているにも拘わらず,避難所に批難している人は,対象者の10分の1にも満たない状況であった。

これは何を物語っているのか?避難指示は,避難勧告の上に,更に緊急性が高い場合に使われる。しかし,現実には前述の結果でも判るように,強制力を持つものでないため,自分の判断で行動することができるものである。確かに,市町村からの情報より,現場・現実を見ている自分の判断の方が正しいと殆どの人は思っている。それは間違いではない。

特別警報は危機感を正しく伝えるために制定されたと云われているが,危機感を正しく伝えるよりも不安感を煽っている部分もあるように感じている。気象庁や市町村の関係者には申し訳けないが,危機感を正しく伝達するようにはなっていないと感じるのは私だけだろうか?

以前にも述べたが危機感と不安感とは異なる(No.077 危機感と不安感No328 危機感No.329 不安感)。危機感は行動に繋がるが,不安感は動揺して行動できないのである。人は容易に不安感を抱くことができるが,正しい危機感を持つことは容易ではない。気象庁や市町村がどれほど真剣に,懸命に特別警報を呼びかけても,当該の本人に危機感は伝わらなく,不安感を持たれてしまっているのだろう。被災された方を非難する訳ではないが,多分不安感一杯で,なかなか行動に結びつかなかったのではなかろうか?

人は経験すれば学ぶが,なかなか他人の経験から学ぶことは難しい。つまり,幾ら50年に一度の災害が起こる可能性があると呼びかけても,今までの経験からそんなことは起こりえないと高を括っている人が圧倒的に多いと云うことである。大きな被害にあって初めてその恐ろしさを感じるのが普通の人である。つまり,特別警報が発令されても,不安感を抱くことができても,危機感にまで及ばないのである。また,人の習性は保守的なことが多く,変化を先取りしようとは思わない。つまり災害の危険が及んでいても,まだまだ大丈夫と動じない人が多いのである。こういう私自身も極めて保守的ではないかと思っている。

被災されている方には誠にお気の毒で,一日も早い復旧を望むと共に,心のケアもしていただきたいと願う。

特別警報から,危機感と不安感の違いを改めて知る

 

 

[Reported by H.Nishimura 2018.07.09]


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