■本質を究める 83 年金問題  (No.630)

老後2000万円が年金だけでは不足すると云う話題が問題になっている。政府関係者の答弁を聞いていても,本質的な話は少しもせず,選挙目当ての話ばかりが先攻し,うんざりさせられている。

  2000万円不足する話題

金融庁が報告した老後の家計のやりくりに関する報告書で,あるモデルケースでは,月々の年金での収入と,家計調査による支出の差を見ると月々5.5万円の不足が生じ,65歳の人が95歳まで生きるとすると,30年間で2000万円が不足することになるとしたことが大きな問題になっている。

そもそも専門家によるワーキンググループに検討させ報告を受けておきながら,金融庁のトップである麻生財務大臣が受け取りを拒否すると云うふざけた,しかもその口調も上から目線の言葉で述べたことが反感を大きく増幅させている。前から感じているが,麻生財務大臣の言動は,国民をあざ笑うかのような発言が多い。一般の大臣ならば,即刻クビになってもおかしくない発言であっても,安倍政権を支えている派閥のドンで,安倍総理がものを言えない状態だから,余計に付け上がっているかのように受けとめられる。

野党の攻撃もちぐはぐで,100年安心と云った政府の答弁がウソだったのかと攻めている。これは,年金の制度が破綻を来すことはなく,継続できることを言ったまでで,誰も100歳まで年金で生活できるなどとは言っていない。つまり,国民の殆どが年金だけで100歳まで安心して生活できるとは思っていない。何らかの蓄えを持って,余生を子供達に金銭的に迷惑を掛けないような生活を送りたいと多くの高齢者達は思っている。

数字がいろいろ取り沙汰されるが,殆どの高齢者は,年金収入がどれだけで,支出との差がどの程度あって,蓄えなどとの余力を計算しながら,以前の生活より切り詰めるところを見計らいながら生活をされている。もちろん,働いて収入を得ていた時代と同等の生活ができるとは考えず,必要なものと贅沢と思われるものを見極めて収支のバランス取っている。即ち,毎月の収支の差が5.5万円も出続けるようであれば,貯蓄額の減り具合を見て,家計を見直すことは必然的なことであり,今後の見通しを考慮するはずである。

現役世代に警鐘を鳴らす意味は十分理解でき,蓄えが必要なことは誰しも理解できるが,2000万円の貯蓄が必要だといきなり言われると面食らう人が多いのも事実である。若い世代は貯蓄しようにも必要な経費が出て行き,僅かな貯蓄しかできないことは頷ける。だから,老後に向けてどうあるべきか,と云う議論がなされるべきで,そういった議論は全くなく不安だけを煽り,選挙の道具にしてしまっていることは情けないかぎりである。

  平均値と中央値の扱い

2000万円の貯蓄が必要だとする報道がある一方,それでは実際の定年後の貯蓄がどれくらいなのか調査された報告もあり,これが正確な数字は忘れたが,平均値でほぼ2000万円程度あり,辻褄が合うような報道もある。それならば大丈夫ではないか,と云う訳には行かないのである。

何故なら,こうしたとき平均値の扱い方に大きなワナが潜んでいる。つまり,大多数の人が2000万円もの貯蓄を持っていないにも拘わらず,1億円以上の貯蓄を持った人が少数ではあるが居て,こうした人達が平均値としての金額を押し上げていることに気づかなくてはならない。数字は判らないが,対象者の中央値(平均ではなく,分布の中央の値)になれば,2000万円よりもぐっと金額が低くなることが考えられる。つまり,平均値で見るのではなく,多くの人が不足すると思われる中央値で判断されるべきである。これが多くの人が実感できる値であり,不足すると感じられるものなのである。

こうした数値の扱いをいい加減にしておきながら,不安だけを煽るようなことはして欲しくない。国民の大多数が,数値の説明に納得し(これは難しいことなのかも知れないが),良い意味での警鐘を鳴らすのならば大歓迎だが,老後の生活が不安になるような表現が独り歩きすることは止めて欲しい。政治家はもちろんのこと,マスコミも極端な表現で読者を惹きつけるような報道は慎んで欲しいものである。

年金問題は国民の関心が高い

 

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[Reported by H.Nishimura 2019.06.24]


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