■本質を究める 78 しつけの大切さ (No.609)

「しつけ(躾)」とは,こどもなどに礼儀作法を教え身に付けさせること,とあるが,昨今,なかなかこれができていないように感じられる。

  人として最低限の礼儀作法

昨今のニュースに,子供が親を殺すと云ったとんでもないものがあるかと思えば,逆に親が子供を虐待すると云った,しつけの行き過ぎとも思われる事態など,殺伐とした世の中になっている一面を垣間見る。昔からあった出来事かも知れないが,昨今は日常茶飯事のような有様で,しつけについて考えさせられる。

そもそも「躾」と言う字は,「身」を「美しく」と書き,日本人の美徳をよく表している言葉だった。私たちの幼少時代は,親から厳しく,礼儀作法を教え込まれ,父母兄弟を敬い,他人に対して礼節を重んじることを教え込まれた。反することをすれば,お仕置きされたものだった。だが,私たちが親になって,果たして同じように子供に「しつけ」をしたかと云うと,時代のせいもあってか,そこまで厳しくしたことはなかった。

しかし,「しつけ」は人としての最低限の礼儀作法であり,時代により多少の変化はあるが,いつの時代になっても重要なものである。世の中で生活する以上,お互いにある程度の「しつけ」された人間同士が共生する社会であり,「しつけ」のされていない人間が蔓延るようでは,単なる生き物,動物にも劣るのではないかと感じられる。

  核家族による弊害

「しつけ」が行き届かない要因はいろいろあり,個性尊重や子供の自由などと云った時代の変化も大きい。それらは,古来からの日本の慣習から,拓かれた欧米思想の影響などにより考え方そのものが変化し,世の中がグローバル化したことも関係している。

昔の家族構成は,老夫婦,父母,子供(兄弟,姉妹)と云った三代が共に暮らすことが一般的だった。少なくとも,戦後の私たちの幼少時代には,そういった家庭が多かった。したがって,父母だけに権力が集中することなく,その上の老夫婦を敬いながらも家長としての権力行使で,子供に対しても可愛がりは今と大きくは変わっていない。ただ,子供に注がれる愛情は,父母だけでなく,お祖父さんやお祖母さんからもあり,子供ながらに大人同士の親子関係も見て育っていた。

つまり,父母の行動に対しても,総てが絶対的なものでなく,祖父母からのいいつたえや,中には家訓などと云った先祖代々からの伝承などの基に生活が成り立っており,家柄のようなものが自然に子供に伝わるような仕組みになっていた。しかし,昨今では,祖父母と一緒に暮らす世帯が少なくなり,父母と子供と云う二世代の核家族構成になっていることが殆どである。

そうなると,若い夫婦で子供を育てる場合,自己流の育て方がまかり通り,若いママ友同士の連携はあっても,父母としての役割を的確に祖父母から指導して貰う機会が全くないようになっており,重要な「しつけ」も十分できない若い夫婦が増えてきている。私自身も,息子や娘夫婦とは離れた生活で,偉そうなことを言える立場ではない。

また,兄弟が多い子供だと,兄弟の中で何気ない争いや上下関係のやり取りなど,社会生活で必要な術を家庭内でも身につける機会があるが,昨今の子供一人の家庭などでは,総てが自分中心的な扱いで,学校での共同生活で初めて,集団での生活を学ぶ子供も多い。そうした子供は,家庭内での「しつけ」も不十分なケースが目立ち,子供の頃にできていなかった「しつけ」が大人になって,弊害となって現れるケースも出てきている。

「しつけ」は子供の頃から身に付ける重要なものである

「しつけ」が身に付いていない大人が蔓延っている

 

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[Reported by H.Nishimura 2018.12.17]


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