■本質を究める 69 忖度とは  (No.571)

政治が混乱している。森友学園の問題で,公文書が改竄されていたことが明るみに出てきた。あってはならないことが現実に起こっていて,政治に信用ができない事態に陥っている。

  問題視されていること

今日までで明らかになってきていることは,「森友学園」の一連の問題で,国会の答弁に対する裏付けが根本から揺らいでしまっている。そもそもは,昨年2/17の衆議院予算委員会で野党の追及に対して「森友問題に,自分や妻が関わっているのであれば,総理大臣も国会議員も辞める」と啖呵を切ったことが始まりである。

元々安倍総理は,ときに感情を表に出し,後ではしまったと思うような発言をすることがあり,頭の回転はそれほど優れていないと思っているが,皆さんが口を揃えて,この発言は失言だったとコメントされている。発言の本心は,「私や妻が,取引に直接関与していたのであれば・・・」と云うつもりだったのだろうが,カッとなって憤りの感情が表れ,啖呵を切るような強い口調となったようである。つまり,言いたかったことは,安倍総理自身や妻が直接関わったことは無いとの弁明であり,間違った発言ではないが,一切関わっていないことを強調するため,首を掛けるような発言をしてしまったことである。

誰もが,安倍総理自らが「森友問題」ことに関して,官房長官や大臣などに対して,直接指示するようなことは無かったと思っている。しかし,直接口に出さずとも,総理大臣の意向を反映して,関係者が動くことはあり得ない話ではなく,どこかで何らかの大きな力が働いたことは事実として改竄という,あってはならないことが起こってしまったのである。私だけでなく,素直に全体像を見渡せば,誰もがそう思わざるを得ないのである。

この総理の意向を反映する行動が,「忖度」と云う表現で用いられている。そもそも私など,忖度と云う言葉自体をこの件で初めて知った次第である。上司や目上の人の気持を推し量って,行動をとること自体は,日本人特有の美学とまでも行かなくとも,素晴らしい気持である。調べて見ると,そもそも「忖度」とは,良い意味で使われていたようである。

ところが,今回の事件からでは無いが,近年,「忖度」することが,悪い意味でも使われるようになってきたそうである。確かに,相手の気持を推し量って行動することは,良い意味では非常に素晴らしいことである。指図される前に自らが判断して行動を起こすことで,上司や目上の人から感謝されることも多いからである。それが今回は,もちろん「忖度」と云う純粋な気持もあったのだろうが,それ以上の得たい知れないような巨大な圧力が,「忖度」と云う行動に表れたのではなかろうか?

  忖度の度合い

大臣や事務次官などの官僚が,総理大臣の意向を推し量って行動することは当然のことで,そうした「忖度」と云われる行動自体何ら指摘を受けるものではない。むしろ,「忖度」がお互いの信頼関係を築く大きな要因でもある。だから,部下が身を挺して上司を支えようとすること自体,通常でもあり得ることである。

ところが,今回の「忖度」は度を超しており,公文書を改竄してまで「忖度」と云われることをすべきだったのだろうか,と云う大きな疑問が沸いてくる。今日マスコミなどで報道されている,佐川元理財局長の独断で,改竄が行われたとは信じがたいものがある。つまり,何故このような刑事罰をも覚悟の犯罪にまで手を染めてしまったのかと云う疑問である。

マスコミの報道での知識だが,安倍総理の発言以来,その発言に齟齬が生じる記録文書が残っていることに,関係者は青ざめたようで,そんな文書が公になれば政権を揺るがす大問題に発展すると,大騒ぎになったようである。したがって,佐川元理財局長以下の組織は,組織を上げて隠滅作業に取り掛かったようである。

もちろん憶測の範囲でしか無いが,これらの一連の行動があったことは,想像を絶するような事態に陥っていたとしか思えない。例え,理財局組織でやったとしても,総理大臣の発言を基にした関係大臣,関係官僚からの無言であったかも知れないが,巨大な力が理財局にのしかかっていたことは容易に想像できる。

日本のために,国家の繁栄のために,と思って国会議員や官僚になったと思われる優秀な人々の信念や良心は,いとも容易に消えてしまうのだろうか?確かに,長きに亘って組織の中に居ると,初心とは違い,どっぷり浸かってしまった雰囲気に呑み込まれてしまうことは誰しも避けられないことである。

当時の経緯が詳細に克明に公文書として記録されていること自体,希なようである。つまり,後からの追及を回避するためか,異常な事態を拙いと感じたからなのか判らないが,自己防衛か良心の呵責か,いずれにせよ公文書として記録されていた事実があり,あわてふためいた理財局が,組織を上げて犯罪に手を染めざるを得なかったと云うことだろう。

問題は,何故,理財局がこんなことに走らざるを得ないようになったか,である。「忖度」と云う簡単な言葉では済まされない重大事件を起こさせてしまったことについて,犯人探しも良いが,真相を究明して,二度とこのようなことが起こらないようにして欲しいと願うばかりである。安倍総理,麻生大臣,菅官房長官の発言からは,反省する素振りも見られず,自己防衛に奔走しているとしか映らないのは,寂しい限りである。こんな人に日本の国は任せられない。

「忖度」の言葉が嘆いている

 

以前へ 本質を究める 68  次へ 本質を究める 70  

 

[Reported by H.Nishimura 2018.03.19]


Copyright (C)2018  Hitoshi Nishimura