■本質を究める 63  (No.537)

考える力が何となく衰えている気がしてならない。日常生活が単純になればなるほど,変化も少なく,刺激も少ない。当然,いろいろなことを考えさせられる機会も少なくなって行く。

  老後の生活を如何に楽しむか?

定年から早10年,年金生活も板に付いてきてしまっている。毎日の生活にアクセントがなく,平々凡々な毎日を過ごしている。時間を持て余している訳ではない。多分,私のように多趣味だから,次々やることがあって,平々凡々ながらもいろんな趣味を楽しんでいる。趣味が無ければ,テレビを見たり,録画した映画を見たり,本を読んだり,或いは同年配の人との交流を楽しんだり,いろいろな過ごし方があるだろう。

その中で,先ず第一に健康であることが必須要件である。健康が優れず病院通いをしているようでは,老後の人生を楽しむことすらできない。平均寿命は長くなってきているが,健康寿命が大切で,多少の薬を飲むことはあっても,独り立ちできていることが重要である。70歳を過ぎると,そろそろこうしたことが気になり出してきている。今のところ,大きな病気もせず,通院も無く,定期的に主治医に診てもらうようにしている。

「生きがい」も,若いときのような元気溌剌と云ったものでは無くなってきている。今更,大きな夢を持って生活することもない。子供達も各々新たな家庭をもって巣立って行った今,子供に賭けるものも無くなっている。自分の余生,それもいつまで続くか判らないが,ずっとまだまだ続く感覚でいる。楽しみを先送りすることなく,今を楽しむことに集中している。

  思考力が衰えて

現役時代と違い,人と接する機会も減り,課題を抱えるようなことも殆ど無くなってくると,じっくり考えることができなくなりつつある。自然の成り行きで仕方ないこととはいえ,何となく寂しいものである。もちろん,世間の動向に遅れないよう,新聞やテレビでニュースを見聞きし,その情報から考えさせられることもある。ただ,聞き流していても生活に支障は無いので随分楽なものである。

マスコミのニュースも重要なものから,芸能界のゴシップのようなくだらないものまであり,ときにはうんざりすることもある。定年後,世間の動向に疎くならないようにと,株を少し持ってやっている。儲けより,損をする方が多いが,経済情勢に敏感であるためにはもってこいのものである。円高,円安の動向はもちろん,世界の情勢変化が具に株の変動で伝わってくる。毎日の変動を楽しみながら(?)と云うより,単に一喜一憂しているだけかも知れないが,脳には幾らかの刺激を与えている。

じっくり本を読むことも少なくなった。ここ数年,大学の講座を受けている。と云っても,毎日ではなく,せいぜい週1回・2時間程度の授業である。一般人にも公開・聴講を許可している講座が開かれていて,興味あるものに通っている。社会人ばかりの講座もあるが,通常の大学の授業に,学生に混じって授業を受けている。単位云々は関係ないが,単位取得できる授業で,レポートなどの宿題もあり,頭の刺激には非常に効果がある。

もちろん,興味ある授業を受けているので,必須で仕方なく受けた授業とは全く違う。学生の多くはそれほど熱心ではなく,寝ている学生も居る。できるだけ前の方で,学生の目を気にしないで授業に没頭している。だから,2時間ほどの授業があっと言う間に過ぎる。しかし,記憶力は落ちていて,そのときは理解していても,記憶として残っているかと云うと不確かな部分が多くなってしまっている。知識を増やすと云うより,新たなことを知るだけで十分で,他人に説明するつもりはない。

できるだけ「なぜ?」と疑問を持つことで,それらを調べたり,教えてもらったりしながら,自分でできるだけ考えるように努力している。どこまでできるかは判らないが,老後のボケにならないようにと気を付けている次第である。

思考力の低下は避けられない

 

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[Reported by H.Nishimura 2017.07.17]


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