■本質を究める 60 教育勅語とは? (No.525)

森友問題から,教育について論ぜられることがちょくちょく目立っている。その中でも,「教育勅語」の是非がいろいろ言われている。私自身,教育勅語がどんな内容かよく知らないが,戦時教育に使われ,国民を戦争に駆り出した教育として,良くないモノとして学校教育では全く触れられなかったくらいの記憶しか無い。是非が議論される中,改めて内容を確認してみた。

  主権在君としたとんでもないもの

親孝行や兄弟愛,夫婦愛など道徳的にも素晴らしい内容が書かれており,学校教育にも必要なことが書かれており,教育勅語を見直すべきだと云う意見があるが,改めて読んでみると,必要と主張する人達が云うように,確かに人間として基本的に行うべきことが,幾つか書かれている部分があり,これを肯定することは否定はしないが,それは良い部分だけを抜き出しただけであって,そもそもこの文章が謂わんとすることを見過ごしていると言わざるを得ない。

全体を通して主張されていることは,日本国憲法で認められた主権在民を否定し,主権は君主(天皇)にあるとするもので,一大事の時は一身を捧げ皇室国家に忠節を尽くすことが大切であると謳っている。それには,親孝行や兄弟愛,夫婦愛など良きことを行う善良な人物であり,公共の利益のために尽くすべきことなどが謳われている。つまり,良き部分はあるが,それは最終的には皇室国家に忠節を尽くすことを言っているのである。

これらを知った上で,「教育勅語」を教育の中に採り入れるべきと主張する人の真意を疑いたい。ただ,良い部分があるので,それらを採り入れたらと単純に思っている人ならまだしも,国家にに尽くすことを第一義とすることを子供達に教育しろと言う人には断固として反対したい。安倍総理はどちらかと言えば,憲法改正も含めて,後者の意見に近いように思え,こんな総理が日本国を牛耳ると思うとゾッとする気がしてならないのは私だけだろうか?

少なくとも,私たち団塊世代の両親世代,90〜100歳で戦争の記憶が十分ある人は,絶対に二度とあのような戦争はしてはならないとの思いは強く,教育勅語の復活などあり得ないと考えられている。それを戦争を知らない世代が,安直に良い部分があるから,教育勅語を見直しても良いのでは,と言っているに過ぎない。思想統制された戦争の怖さを知らないからである。北朝鮮の人民のように思想統制された日本国民になることを想像したら恐ろしい限りである。

教育勅語の是非を論じるなら,「木を見て森を見ない」ような瑣末な議論でなく,もっと内容そのものを明確にして論じあい,1948年に国会でも教育勅語を排除する決議がなされた内容も確認しあって,国民が納得できる説明をもっとすべきで,マスコミもきっちりした解説をして欲しいものである。

最後に,教育勅語の原文と現代語訳を掲載しておく。

  教育勅語の原文

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ
徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克
ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セル
ハ此レ我カ國體ノ精華ニシテヘ育ノ淵源亦實
ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦
相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及
ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器
ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲
ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉
シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キ
ハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ
爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫
臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬
ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ
拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日
御名御璽

  教育勅語の現代語訳

朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、
徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく
忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。
これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。
汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、
朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、
人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、
善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、
常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、
大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。
かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。
かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、
それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。
ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、
皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。
この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても
正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。

(文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書』(1940年)より。明治天皇から勅語を賜った文部大臣が管轄する文部省自身による、「正式な現代語訳」とされる文章)

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[Reported by H.Nishimura 2017.04.24]


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