■本質を究める 53 プロフェッショナルスポーツ  (No.492)

リオのオリンピックが終わり,日本選手の活躍が報じられている。そこで,スポーツに於けるプロとアマについて考えてみる。

  オリンピックの精神

我々の子供の頃のオリンピックは,アマチュアスポーツの祭典であり,近代オリンピックを提唱したクーベルタン男爵によって19世紀にオリンピックが再開したものである。このときの精神は,古代オリンピックがプロ化したことが衰退の要因としてあり,新たなオリンピックはアマチュアに限り参加を認めたものだった。オリンピックとして一番印象に残っているのは,私が高校生だったときに行われた東京オリンピック(1964年)で,日本選手が活躍した体操,柔道や女子バレーなどで,16個もの金メダルを獲得できたもので,プロとは無縁の競技大会だった。

このときの印象が強く,アマチュア選手が競う大会の頂点がオリンピックだと云う認識がある。しかし,アマチュアに限るとはいえ,国家で競う競技であることから,国が育成したステートアマと呼ばれるスポーツに専念できる環境を国家として与えられたような選手が出現し出し(主に共産主義国家の中で),アマチュアと云う枠とプロとの差が縮まりだした。一方,オリンピックが財政的に逼迫していた背景から,スポンサー契約や放送権料などを上げ,オリンピックが「商業化」するようになったようである。

一方,競技として世界一を目指すのであれば,プロ,アマ関係なくと云う意見もあり,プロが存在する競技ではプロの参加も止む無しとなった行ったようである。1974年オリンピック憲章の中の「アマチュア規定」が削除され,1984年ロサンゼルスオリンピックで,サッカーとテニス競技にプロを容認したのが始まりで,1992年のバルセロナオリンピックで,全米のプロバスケットの選手がドリームチームとして出場し話題を呼んだのだった。

このようにオリンピック精神なるものは不変であるかのようだったが,実際にはその時代背景を映し出しており,昨今は各競技団体との決め事にはなっているようだが,基本的にプロの参加を認めている競技が殆どであり,オリンピックを観る人々も,プロが参加していることに違和感を覚えないようになってきている。

  プロかアマか?

プロとアマの違いは,当該スポーツを職業として生計を営んでいるかどうか,と云うことであるが,企業に属しているアマチュア選手でも,仕事はせずに,スポーツに専念できる環境に居る人は多い。我々の時代は,企業のスポーツ選手は各々職場があり,半日は仕事に従事し,半日はスポーツに行くと云ったスタイルだった。もちろん,報奨金などプロが受け取るようなお金の授受は一切なかった。

しかし,昨今のアマチュア選手は,企業に属していても,スポーツに専念できる環境に居る人が結構いる。オリンピックでメダルを狙うような選手ともなれば,一層その傾向が強く,職場の仕事をするようなことをしていては競争に勝てない状況下に於かれている。これでは,アマチュアとは名ばかりでプロ化しており,アマチュアとプロの差が殆ど無くなってしまっている。

したがって,オリンピックに出場している選手がプロなのかアマチュアなのかを話題にすることもなく,見過ごしてしまっているのが現状である。本来は当初のオリンピック精神を尊重し,アマチュアの最高の競技としたいものであるが,現実はそうもできず,世界一を目指す選手にプロ,アマを問わず拍手を送っているのである。

  プロフェッショナルなスポーツ選手になる条件

この機会にインターネットで調べることがあり,プロになるスポーツ選手に幾つかの条件があることを知ったので掲載しておく。

@入団,契約型;スポーツ団体とプロ契約をする

  プロサッカーリーグ・プロ野球

Aテスト型;プロの試験や選考に合格する

  プロボクシング・プロゴルフ

B養成型;研修を卒業する

  公営競技(競馬・競輪・競艇・オートレース)

C宣言型;プロ宣言し,スポンサーと個別契約する

  卓球・ゴルフ・水泳・陸上など

 

オリンピックで考えさせられたこと。プロとアマ?

 

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[Reported by H.Nishimura 2016.08.27]


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