■職場の問題点と解決策(その5) 情報共有 (No.472)
「情報共有」の名の下に集められたデータの氾濫が起こっている。確かに,会社の中で関係者が情報を共有することは必要なことである。情報が偏在して,仕事がスムーズに運べないような事態は困るが,無神経な情報収集,拡散も困ったものである。
本当に必要な情報がどれだか判らない
本来,情報は必要な人に必要な情報があれば十分である。電子メールなどが無かった時代は,必要に応じて伝言されていたが,電子メールが活用されるようになり,情報の伝達スピードが格段に向上した。一方,インターネットの普及に伴い,我々が見聞きする情報も一気に膨大な量になってしまった。
情報量が増えること自体はそれほど悪いことではない。ただ,情報は多くの人が居ればいるほど量が増え,必要以上の情報が収集されてしまう実態がある。そうすると,有効利用することのできる情報が,多くの不要な情報の中に埋もれてしまうことになっている。サーバーなどの容量も,動画の利用などでどんどん膨大となっているため,不要な情報であっても容量的にきにすることが無くなってしまっている。だから,念のため保存しておこうと云った類の情報までが,まるでゴミのように溜まってしまっている。且つ,それらを整理して管理するような人も居ない。
現在のデータベースなどの情報は,本当に必要な情報はどれなのか,判らなくなってしまっている。情報を探し出すのに,わざわざ検索ソフトを使わなければならないようなことになってしまっている。つまり,仕事の中で情報を利用しようとすると,こうした余分な仕事が増えてしまっているのである。情報量が増えたがための副作用である。(参照:データの氾濫 No.038)
情報を活用できているとは思えない
情報は知るだけでは意味がなく,その情報を利用することで初めて有効な情報となる。情報を活用できていると云う人でも,実際に活用している頻度はそれほど多くない。それなのに,不要な情報が一杯ある現実をどのようにみるべきか?
不思議なことに,情報量が一杯あることは,困ったときには利用できると考えている人が居る。ところが,実際に役立つ情報を得るために,保管されたサーバーなどから探し出すよりも,身近な先輩に教えを請うたり,上司に相談したり,人と人とのコミュニケーションの方が役立つことが多い。もちろん,一々相談できないので,サーバーなどの情報から探し出すことは,いつでもどこでもできる便利さがあって優れた面も多い。実際面の活用からみると,人と人とのコミュニケーションには叶わない。
情報を収集することを否定する訳ではないが,要は情報は活用されて初めて有効なものとなるので,その情報の活用度合いを測ってみることも必要なことではなかろうか?検索ソフトのように,利用頻度の高い情報が早くみつかる仕組みができあがっているが,会社の情報も利用頻度の高いものが直ぐ見つかり,利用されないものは廃棄処分なり,検索できない処置をすうることも有効な手段ではなかろうか?
仕事をしている振りをして,情報の中を泳いでいる人も中にはいる。物知りかも知れないが,仕事の役には立っていない。インターネットがそうであるように,情報量があればあるほど,時間を費やしてしまう習性が人間にはある。プライベートで時間を費やすことは自由だが,会社の仕事で,不要な情報で遊ぶようなことがあってはならない。厳密なきまりなどは無いようだが,パソコンに向かう時間を制限する時代がそこまで来ているように感じている。
思考停止に陥る怖さ
情報を利用すると云うとそれらしき仕事をしているようにも受け取れるが,データと情報の構造でも述べたが(参照:データと情報の違い No.039),情報を利用すると云うことは,データから情報に変換し,その情報を基に知識として利用することであり,更にはその知識から知恵を働かせることである。
どこかの論文にもあったが,情報をコピーし,ペーストして利用することは,本来の情報の利用ではない。つまり,自分自身で思考停止に陥ってしまっている状態である。これは技術者としては絶対に避けるべきことである。
世の中全体をみても,車内で本を読んでいる人は少なく,殆どの若い人はスマホを触っている。それも,メールしているか,情報を探ってサーフィンしている様子である。確かに,時間つぶしには有効だが,じっくり考え,自分の主張を云えるのだろうかと心配さえする。テレビの普及で一億総白痴化と大宅壮一が言ったのは1957年だったそうだが,その言葉が繰り返される時代になっているのではないかと心配している。
一言で情報と云うが,よくよく考えてみる必要がある
情報は収集するものではなく,活用するものである
[Reported by H.Nishimura 2016.04.11]
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