■データと情報の違い (No.039)
前の週でデータが氾濫していると述べたが,データではなく「情報の氾濫」ではないか,と思った人もおられるだろう。
私が敢えて,「情報の氾濫」と云わなかったのは,それなりの理由がある。氾濫しているのは,情報でなく,データでしかない,と思っているからである。では,データと情報との違いは何なのか? これについて説明をする。
情報の構造は,次の図に示すように階層がある。この図のように,最も多くベースとなるものが「データ」と云われているものである。つまり,データとは,「客観的な事実を数値、文字、図形、画像、音声などで表したもの」のことである。最初に現象として現れるものは情報ではなく,データである。現象そのものは数値や文字の羅列であったり,単なる音として出ているもので,それが加工,即ちグラフや表になって,或いはそのデータから読み取れることを解説して初めて「情報」となる。事実(FACT)はデータから始まると考えてよい。この膨大なデータが加工され,情報となる。さらに,情報はいろいろ組み合わされたり,まとめたりすると「知識」となり,人の頭の中に記憶されたり,或いは組織としてまとめられた知識体系になったりする。さらに,その「知識」を使って人は創造する。それが,一番上の「知恵」である。知恵を出そうと思えば,これだけの下支えがなくてはならないのである。上の図のように,きっちり層別ができるかと云ったら必ずしもそうではない。明らかに数値だけのものや,意味のない文字の羅列でなくても,ドキュメント化されたものであっても,その人にとって全く役に立たないものは「情報」ではなく「データ」なのである。前回に述べたように,イタズラメールなどは,ドキュメント化されているが,全く迷惑千万で,とても情報とは云えないことからも,お判り頂けるであろう。世の中で「情報」と呼ばれているものの中の多くは,この「データ」に相当する。そう云った意味で,「情報の氾濫」とはせずに,「データの氾濫」としたのもその点からである。
前回にも書いたように,メールを書いている本人は情報のつもりでも,あて先になっている人はせいぜい情報として受け取るかも知れないが,CCなどで回る人の中には,こまめな人は別として,多くは要らない情報と即座に捨てていることが多い。なぜなら,送信者は情報のつもりでメールの回覧をしていても,受信者の中には,情報でなくゴミとして,つまり要らないデータ程度にしか思っていない人が結構いるのである。
でも,「データ」は不要かと云えば,そうではなく事実(FACT)として,非常に重要なものでもある。問題点を解決するにも,この事実(FACT)がしっかり押さえられていないと,間違った方向に行ってしまうことがある。つまり,物事の事象の原点は,「データ」が重要で,これがモノを言うことになる。「情報」になると,人の意志が入っているものなど,事実(FACT)と違っていることも多い。作為的でなくても,何らかの加工を施されたものは,事実とは異なることが多い。したがって,情報を鵜呑みにするのではなく,事実(FACT)をしっかり見つめて,自らが判断せよ,と云われるのは,そうしたことからである。
通常,我々は人に伝えたり,教えたり,指示したりするが,「データ」では相手に伝わらず,加工してドキュメント化したり,判りやすく説明を加えたりして,「情報」にして伝えようとする。つまり,受け取り側に判りやすい形で報告するなど,正しく伝達するために「情報」に仕上げるのである。この「情報」は,相手が変化しても,ある程度は正しく伝達される。「データ」のように,見方で全く違うと云うようなことは少ない。この「情報」も「データ」同様,かなり多く出回っている。見ているだけで飛び込んでくる,テレビなどマスコミの「情報」などがプッシュ型の情報の代表格であり,一方,インターネットなどは見に行くことからプル型情報と云われている。
ある程度は,情報とデータの違いは判って頂けただろうか。
再び,上の図に戻るが,我々はいろいろな情報をもとに判断している。我々がいろいろな「情報」を求めるのは、それを利用して、示唆したり,判断したりするためである。そのためには,単なる「データ」では役立たない。「情報」がいろいろ組み合わさったり,深く掘り下げられたり,比較されたりして,「情報」が更に上に上がって,「知識」となって示唆することが可能になる。あの人は知識がある,とか云うが,物知りと云う意味もあるが,そうした人は「情報」を上手く整理して,或いは自分の経験した「情報」を知識として,上手く自分のポケットに蓄えているのである。昨今は,情報を知識として蓄えなくても,インターネットで簡単に調べることができ,先ず判らないことは,殆ど解決できるようになってきている。自分でまとめる,整理する能力さえあれば,知識になってしまうようにも感じられる。
しかし,その知識から「知恵」を創造するところに本当の意義がある。よく昔から「知恵を出せ」とか,「知恵を絞って」とかいわれるが,それは頂点の一番難しいことをやることなのである。知識として蓄える能力とは違った能力が要求される。実際,仕事でも知識だけ持っていても,それを発揮できることがなければ何の役にも立たない。特に,技術者は新しいことを創造することが仕事であることが多い。つまり,知識を使って創造する,即ち,「知恵」を絞って考え,実行することである。
また,組織においても,「データ」→「情報」→「知識」,それも個人としての「知識」でなく,組織としての「知識」となることが重要なのである。「暗黙知」から「形式知」に変え,「組織知」として蓄え,それを有効に利用することが重要なのである。「組織知」については,次回,改めて述べてみよう。
データと情報の違いが判りましたか?
あなたは,情報の構造を理解して,上手く活用できるようになっていますか?
[Reported by H.Nishimura 2007.10.29]
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