■技術者が持つべき資質 4 論理的なものの見方 (No.457)
第4回目は「論理的なものの見方」について考えてみる。技術者が研究や実験を重ねるとき,必要なことは論理的に物事を詰めて行くことであり,これが実証実験や再現性の基を為している。人にとっては感情豊かであることは大切であるが,科学では感情は不要で論理の追求である。
技術者の基本姿勢
新しい物を創造するときは,奇抜な発想や人が思いもつかない考えなどが重宝されるが,世の中に貢献する商品を産み出すためには,論理的に成り立った考えに基づいたことが重要である。つまり,安定した商品を大量に作り出すには,再現性が必要で,決まった方法が定まっていなければならず,それには論理的でなければならない。したがって,技術者として取り組む基本姿勢は,論理的なものの考え方,見方であることが重要である。
STAP細胞事件があったが,画期的な発見と世間を騒がせたが,実際には同じ事を再現することができなかった。この例のように,技術者は新しい出来事を発見しても,それが事実かどうかは,再現性があるか否かで証明されることになる。起こったことが事実であったとしても,同じ事が再現できなければ,技術者としての仕事をしたことにはならない。単なる捏造で終わってしまう。
技術者になろうと云う人は,小さいときから算数や理科が好きで,論理立てて答えが導き出されることに興味を持つ。私もそうだったように,国語などで感じたことを上手く表現したりする所謂感覚的な答えで正解らしき(?)ものであれば良い点が貰えるのは性に合わない。必ずと云って良いほど正解に近づけず算数などとは打って変わって悪い点数を採る。ますます,国語が嫌になってしまったのである。それでも漢字を覚えたりするのは得意なのであって,どうも曖昧でも点数が貰えると云うのが腑に落ちなかったのである。
そうした小中学生から高校へと進み,益々理科系の科目と文化系の科目とに好き嫌いが目立ち,論理的に物事が進まないと気が済まない性格が醸成されてしまったのである。ここまで極端でなくとも,技術者の多くは似たような経験をしてきているように感じている。つまり,自然に物事を論理的な観点で捉えようとしてしまう習性が付くのである。これは技術者としては,不可欠な要素なのである。
科学は論理で成り立つ
科学とは自然界のできごとを,論理的に説明づけることであり,偶然に発見したできごとであっても原因を究明するなどして,論理的に成り立たそうとするのである。物事には,必ず原因があって,それによって結果が生じている。この原因と結果をきちんと説明づける論理を解明することが科学である。中には,未だ原因が十分究明されていない事実もある。しかし,それらをそのまま感覚的に受け容れるのではなく,事実を突き詰め原因を究明しようとするのが科学なのである。
もちろん,世の中には常識があって,それに沿っていなければ,たとえ真実であってもなかなか認められない。歴史上の発見はそうしたものが多い。しかし,直ぐには認められなくとも,論理的に辻褄があっていれば,常識から外れていてもやがては認められる。後輩の誰かが,それを証明してくれる。科学とは常識に囚われることなく,事実の積み重ねで実証されるものなのである。技術者はそうした科学的な根拠を基に仕事を進めるのである。
科学的と云う意味と論理的と云う意味は厳密には違う。だから,科学が論理的だとは言えないと云う人も居るようである。ここでは,厳密な解釈を論じているのではなく,技術者として見たとき,どうなのかと云うことであって,技術者から論理的なものを欠落させたら技術者では無くなってしまう,と云う話なのである。
理論と実験
技術者の仕事は,理論を基に仮設を立て実験を繰り返す。思い通りに進むことと,思わぬ結果になることはどちらも似たような確率で起こる。仮設通りの実験結果が引き出せると云うことは,頭で考えた理論が成り立ったことで,そのまま次へ進むことができるが,思わぬ結果が出たときの処理の仕方が明暗を分ける。
つまり,仮設した通りの結果が得られなかったとき,仮設が間違っていたとあっさり諦めるか,いや,何か違った要因があったのでは,と疑い追求するのでは大きな違いである。実験結果は事実であり,再度繰り返してその真偽を確かめ,事実を確証する。再現することは重要なことであり,そこから何らかの原因が見つかる。容易に見つかる原因もあれば,原因究明が困難な場合も多い。しかし,技術者としては諦めることなく,論理的に成り立つ因果関係を探り当てることが仕事なのである。
最近はパソコンに向かって仕事をする技術者も多くなったが,一昔前は実験室が仕事場であり,実験室に籠もって一日中仕事をすることが当たり前だった。要は頭で考えたことを直ぐ実験で確かめ,確証を得ていくことで,次のことを考案するのである。それをまた実験し,確証を得て行く作業を繰り返し繰り返しながら,目標に近づいて行くのである。古いやり方だとの批判はあるかも知れないが,実験を重ねて確証を得ながら,新しい物を創り出すことは確実な方法なのである。
また,一度できあがったやり方で数多く実験してみて,その結果のバラツキを見ることも大切なことである。バラツキが大きいと云うことは,何か結果がバラツク要因が潜んでいることであり,その要因を究明しないと,同じ安定したものを作ることができない。それも,部材のロット(生産時期の違いなど)に依って変わることが無いかどうかも調査する必要がある。理論的には成り立っていても,バラツキなどは理論よりも実験で確かめる方が,早く確実な方法でもある。技術者の仕事は,こうした地道なことが結構多く,しかも欠かすことのできない仕事なのである。
これができないと技術者として成り立たない
技術者が感情的になって仕事をすることは良くない。何か大切なことを忘れてしまっていることが多い。常に冷静沈着で,物事を論理的に進めることができなくてはならない。仕事に没頭できることが必要である。
旧式の実験室スタイルから仕事のやり方が変わったとはいえ,論理的なものの見方を欠かすことはできない。ソフトウェアの仕事などは当に論理の積み重ねであって,思わぬミスが重大なバグを引き起こす。昨今のソフトウェアは複雑且つ膨大なものになってきており,人間の注意深さだけではミスを防ぐことはできない。常にデバッグ(検証・修正)が必要で,それもシステム化されたV字モデルに沿ったやり方が標準化されている。
これもシステムとして論理的に構成されたやり方であり,システムの設計(詳細設計を含む)と検証テスト方法が合理的且つ最適化されたものであり,技術者として,こうしたシステムを自らの仕事の中に素直に取り込むことができなければならない。言われたことを確実に行うだけでなく,自らが進んで合理的なやり方を見つけ出して,より良い製品を世の中に送り出すことが使命なのである。
論理的なものの見方は必須要件
(続く)
[Reported by H.Nishimura 2015.12.28]
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