■本質を究める 45 美しさを求めて  (No.455)

京都の紅葉の美しさを求めて,ここ数年,紅葉の始まる11月初めから約1カ月,天気の良い日には出掛けて,今年も10回弱あちらこちらを新しいスポットを訪れている。春の桜の季節よりは,少し長い期間,それも雨に降られても更に色合いを増す紅葉の季節は心も浮き浮きさせてくれるときである。

京都の紅葉は多くの人に人気があり,その時期には到る所で大変な混雑を引き起こす。写真が趣味で,特に風景写真を撮っていると,多くの観光客に出くわす。紅葉が美しいから人気があり,口コミ,ネット情報,観光雑誌などで,名所を公表する。昨今の京都は,日本人もさることながら,中国系や韓国系の観光客がドッと詰めかけ,大声を出しながら散策している光景が到る所で目につく。

観光日本を目指し,円安効果もあって外国人を呼び寄せていることは悪いことではない。ただ,京都の寺社仏閣は大勢でワイワイ,ガヤガヤ騒ぎながら観賞するものではなく,静かに昔の人の境地に入って観賞して初めてその価値が出るところが多いのだが,そうした状況はここ数年,いやもう10年,20年お目に掛かれなくなってしまっている。非常に残念なことである。

そういう我々日本人も,旅行社のパックツアーなどで,欧米を始めとして団体で押しかけているのが事実である。だから,京都に外国人が押しかけても文句の言える筋合いでは無いのである。昨今は世界遺産など,名所旧跡を誉め讃え,観光客を集め,その観光客が落とすお金で潤っているところも多い。世界遺産の登録が,観光客の集客目当てとなっていることさえある。確かに,私自身海外で世界遺産を目にすると,何となく魅力が大きいことを感じるものである。世界遺産そのものの美しさや素晴らしさよりも,そこへ行ったことを話のタネや自慢話にすることさえある。

このようにじっくり考えてみると,本当に京都の紅葉の素晴らしさ,そのものを深く観賞し,美的観賞に酔いしれているいる人が果たしてどれだけいるのだろうか?と疑問視さえする。紅葉そのものの素晴らしさは単にエサで,要は観光客が集客でき,それで商売が成り立てば良いのだと割り切った考え方もできる。昔はそうではなかったが,京都の寺社仏閣の多くが入場料を取るようになり,ますます商売根性が出てきたのではないかとさえ感じている。

今秋,何度も訪れたことのある東福寺へ大学の同窓仲間と紅葉見物に行ったが,予想通り,大変な人混み。交通整理するお巡りさんも要所要所に立って,混雑の流れをスムーズになるよう促している姿があった。ここの紅葉は京都屈指の名所で,入場券売り場も大混雑,因みに,一日何人ぐらい訪れるのか,それらしき関係者に尋ねても,誰一人応えてくれない。ただ,バイトで雇われ,その役目をこなしているだけと云うことだった。混雑振りから推定しても,軽く10000人は超えているだろう。最盛期なのでもっと多いかも知れない。

確かに,紅葉は他よりも圧倒されるほど多く,流石であったが,それ以上に押し寄せる人並みで,通天橋はラッシュアワー並みの混雑で,流れに任せるように進むしかなく,じっくり紅葉の美しさを観賞できるようなところは,何処にも無かった。ただ,殆どの人が,東福寺の紅葉を見てきた,と云うことで満足しているのではないかとさえ感じた次第である。その模様を2枚ほど,掲載する。できるだけ人を避けて撮っても群衆が写る。

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別の日,12月も入った小春日和の昼下がり,京都御苑にも木々が生い茂っているので,紅葉も見られるだろうと,カメラ片手に出掛けた。そこで見掛けたものは,ひっそりと静まりかえった,人の気配が殆ど無い,木漏れ日が射す紅葉の絶景が到る所に見られた。余りにも広大な苑内であり,桜の季節と違って限られた場所ではなく,木々の中に必ず紅葉があり,松などの常緑樹に囲まれてコントラストが素晴らしく,本当の紅葉を静かに楽しむには,打って付けの場所である。

もちろん,ベンチに腰掛けのんびりとしている人も居るが,広大な広さの苑では目立ちもせず,自然の中に溶け込んでしまっている。寺社仏閣にある紅葉がもてはやされるので,京都御苑はあまり話題にも上がらないようである。しかし,紅葉の自然の美しさを観賞したり,その絶妙の雰囲気を狙うシャッターチャンスは比類を見ない。京都にも,まだまだ静かにじっくりと紅葉を観賞できる場所が残っている。その中の2枚を掲載する。画像からも,その静寂さが伝わってくる。

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美しいものを素直に追い求める気持は誰にもある。しかし,昨今の京都の紅葉巡りでは,自然の美しさを押し寄せる人並みが汚しているようにも感じられてならない。紅葉を観賞する方法は,人により千差万別で,どの方法が優れているとは言い難い。ただ,自然の美を観賞するのに,要らぬ雑音が多いのは戴けない。自然の美とは言ってみたが,寺社仏閣の庭園は人の手が加えられた造園美であり,自然の美しさとはやや趣を異にする。もちろん,季節による自然美を活かすように工夫されている。季節により変化する美しさがある。

寺社仏閣の仏像や襖絵などは永らく保存するためにも撮影が禁止されているところが殆どである。これは多くの人に長く観賞して貰うための配慮としては当然のことである。昨今は,庭であっても撮影禁止しているところが増えてきている。確かに,押し寄せる観光客が多くなったこともあり,カメラマンが長く居座り,観光客に迷惑を掛けるのを回避しているようである。私自身も,カメラを持たない自分の脳裏に焼き付けたい人の迷惑にならないようには気を付けているつもりである。

美しさを求め,趣味の一つで風景写真を撮り続けている。今秋の紅葉の写真だけで2400枚もあり,平均一日に300枚ほど撮って,日付と場所のフォルダーを作りパソコンに整理している。それらの中から訪れたところのシャッターチャンスが優れ,これはと思う写真を別のホームページに季節の写真と題して掲載し,楽しむ仲間と分かち合っている。これも,だんだん増え続け,既に100回を優に超えたものになっている。

 

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[Reported by H.Nishimura 2015.12.14]


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