■本質を究める 44  (No.451)

「一億総活躍社会」と云う訳の分からないキャッチフレーズが飛び交っている。

  キャッチフレーズを打ち出す前にやるべきこと

一億総活躍社会と云うキャッチフレーズが飛び出し,その担当大臣まで作ってしまった。何を以て,そう言うのかとよくよく聞いてみると,新三本の矢@強い経済 GDP 600兆円,A子育て支援 希望出生率 1.8,B社会保障 介護離職ゼロ,と新たな具体的目標値を定めたと云う。具体的な目標を明確にして政治を行うことには賛成だが,そもそもアベノミクスの三本の矢に関する総括はどこへ行ったのだろうか?

第一の矢である「大胆な金融政策」については,円安誘導で株価上昇,デフレマインドの払拭はなされたが,これは政府と云うより,日銀の金融政策であって,政府も関与しているとはいえ,政治主導のアベノミクスの成果とは言い難い。ただ,一応の成果が出ていることは認められる。円安による株価上昇など企業にとっては追い風となり,利益が上がり賃金上昇へと良い流れになっている。

第二の矢である「機動的な財政政策」については,少しは需要創出をしているとはいえ,従来型の公共事業のバラマキ的な内容であり,それほど特出すべきものでもない。

第三の矢である「民間投資を喚起する成長戦略」に関して言えば,殆ど何もできておらず,一番肝心な経済の活性化につながる成長戦略は全くと言ってよいほど見られていない。規制緩和による効果も期待外れで,アベノミクスが失敗とされる大きな要因でもある。何をしようとしていたのかもよく判らず,アベノミクスと云う魔法のような言葉だけが独り歩きして,肝心の成長に繋がる戦略らしきものが皆無だった。

これらを素直に反省して同じ過ちを繰り返さないようにするのが政策であり,人の目をごまかすようなキャッチフレーズを再び掲げて,いかにも国民と一緒に頑張りましょうと云うのは止めていただきたい。

  新三本の矢の無節操

一億総活躍社会は誰の発案か知らないが,国民をバカにしているかのようにも映る。国民すべて,子供から大人まで働けと云う訳でもあるまい。正社員になれず,不安定な給料で生活を余儀なくされている若者が溢れている今日の日本にしてしまったのは,グローバルな競争社会になったとはいえ,政策の貧困,国民目線で見ていない政治家の横暴である。世界を駆け巡って日本の地位向上を図ろうとする外交政策は悪いことではないが,国内の実態に素直に耳を傾け,実質ある政治政策を実行して欲しい。キャッチフレーズで政治をやってもらっては困るのである。

新三本の矢の第一に矢がGDP 600兆円と謳っている。目標の数値はあるが達成時期は明確にされていない。2020年頃と推測されるが,それでも年成長率で3%を達成しなければならず,先進国でこれを実現するのは不可能と言われている。そもそも先進国でGDPや成長率を目標にしている国は無く,昔の高度成長期のような考え方を持ち出す実に陳腐な発想である。政策への国民の期待が経済最優先であることは紛れもないが,こんな国民騙しは無い。どんなマイルストーンでもって目標に到達しようとしているのか,示せるものなら示して欲しい。1年も経たない間にそのボロが出るのは必至である。

旧の第三の矢が全くの失敗に終わっていることに対して反省どころか,さらにその上塗りをしようとしている,否目先を変えようとしているようにしか映らない。本当に経済最優先を謳うなら,規制緩和や身を切る改革を具体的な内容で,且ついつまでにやり遂げるのか,それにより経済への貢献がどのようになるかなど,そうしたことを示してこそ,国民も納得するのである。現状の安倍政権は野党のていたらくにあぐらをかき,傲慢な独裁政治を行っているようにしか映らない。安倍総理の暴走を誰も止められない自民党,野党など政治家の資質が問われていると言いたい。

  日本の将来

日本の将来になかなか希望が持てない。経済がそれほど成長せず,国の赤字が益々膨らんでいく中,問題の先送りで凌いでいるような政策はこりごりで,今必要なのは,抜本的な改革であり,将来のしっかりした見取り図に基づく基本政策を確実に行っていくことである。それを真剣に考えてくれている政治家がどれだけいるだろうか?

一億総活躍などと言葉遊びではなく,日本の将来に希望が持てる施策を明確にし,国民が揃って協力するような元気の出る日本国になって欲しい。自由競争社会にあって,富裕か否かで差が付くのではなく,頑張ればそれに見合った成果がでるような仕組みで,そうした努力による格差は多少あってもよい。貧しい人に手を差し延べる心の豊かさを持ちつつ,明るい笑顔の絶えない国造りができないものだろうか?

既得権益を持った人や,国税のムダ使いにあぐらをかいているような人々がまだまだ多い。今日でも発展途上国では権力を傘にワイロなどが横行しているが,それと似たり寄ったりである。少なくとも先進国ではそのような行為は殆ど無くなっている。国の豊かさ,先進性を示すメジャーでもある。日本がよりアドバンスした国を目指すとき,前述したような努力無しでのうのうと暮らす人がどれだけ減っているかが一つの指標にもなるのではなかろうか?

日本の将来を憂いつつ政策に注目してみる

 

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[Reported by H.Nishimura 2015.11.16]


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