■本質を究める 35 (No.413)
科学に於ける真実とは,実証できることである。技術者にとって実証することとは,再現できることである。それが不確実であっても,或いは理論的に説明が付かなくても,再現することができれば,実証したことになり,不確実なことは,再現方法に何らかの不確実なものがあるためであり,理論的な説明は後付でもよい。
今回,「捏造の科学者 STAP細胞事件」と云う毎日新聞の科学環境部の須田桃子記者が書いた本を読んでみた感想を述べる。
STAP細胞事件について
ここでも述べたが,STAP細胞がネイチャー誌に掲載され,日本中がその発見に驚きと感激を抱いたときは,また新しい世界が拓けたような感覚になり,山中教授のiPS細胞に次ぐものと期待をしたのは私だけではなかっただろう。ところが,その後,次々出てくる論文の不正や理研の取り扱いを巡る利権絡みのような不祥事にがっかりさせられたものだった。結局,誰もSTAP細胞の再現ができず,捏造に終わってしまったことは人騒がせなものだったと云う印象である。
論文の不正な行為は,未熟な科学者と云うだけでは済まされない大きな問題で,大学時代やその後の指導が拙かったと云うようなものではなく,その人柄そのものであり,自己満足して喜んでいるだけなら未だ可愛いが,多くの人を混乱に貶めた罪は大きい。今回の問題は小保方さん自身の問題もさることながら,話題性の高いものに群がり,それを基に研究費の獲得などに利権を拡大しようとしていた理研の組織に,日本の研究機関のおぞましさを感じたものだった。
書籍は,毎日新聞の科学記者としての研究者とのやりとりを時系列に示し,最初の報道から,その状況がよく判るように書かれたもので,科学記者としての根性,実態を改めて知らされた。各社とのすっぱ抜きの激化する中,情報を得るために,研究者との信頼関係を大切に,聞いたことは何でも記事にするのではなく,報道に対する信用を得ながら本音を引き出すテクニック(と云うと失礼だが)は,感心させられた。STAP細胞の研究そのものに詳しく無いため,詳細な研究部分の問題の大きさなどはさっぱり判らないが,研究に取り組む姿勢や論文作成のやり方については技術者として十分理解しているつもりでいる。
内容そのものにやや偏りがあるとの批判は一部にあるようだが,比較的公正に聞いた事実を分かり易く表現してあり,一気に読める内容で,STAP細胞事件を改めて思い起こす機会になった。昨今,理研の関係者に対する処分など云々されているが,それらには余り興味はない。自らの地位を確保する,或いは自分の責任をできるだけ回避しようとする様は,組織にあって日常茶飯事のことで,そこには正義ではなく,権力がものを云う世界でしかない。理研だけが特殊だとは決して思わない。
「それでもSTAP細胞はあります」と叫んだ小保方さんの姿は,有罪判決を受けながら「それでも地球は回っている」と云ったガリレオ・ガリレイを思い起こさせ,後に真実が証明されたことを思い,真実を再現してくれるのではとの期待もあったが,その期待も空しい夢となり,捏造と云う科学者にあってはならない看板が付けられてしまった。なぜ,このようなことが起こったのか,書籍ではそこまで突っ込めていなく,真実は闇に葬られたままになってしまっている。インターネットの情報では,こうした科学者の捏造など,論文の不正は珍しいことではない,と知ると,如何に利己的な科学者が多くいることを改めて知らされた。
科学者は真摯であらねばならない
真摯さとは,ドラッカーがマネジメントの中で,組織にあってマネジャに求められる一番大切な資質であって,後天的に学ぶことのできない資質,始めから身に付けていなければならない唯一の資質であると述べている。
科学者にとっても,現象に対してウソ偽りの結果を報告したり,良かった結果だけを抽出して報告したりすることは,身勝手な行動の何ものでもない。現象は不確かなことはよく起こることで,一度できたことがなかなか再現できないことがある。たまたま偶然にできたことを再現できないと簡単に諦めてしまうことも良くない。再現するまで,執念深く繰り返す熱意は重要である。この不確かさとウソ偽りとは質が違う。ウソ偽りとは,できもしないことをあたかも出来たように報告することであり,科学者にあってはならないことである。
現象や実験結果に対して真摯な態度で取り込むことは重要で,科学者にとっては必要不可欠な態度である。ただ,真面目に熱心なことだけでは済まされない。人はときに基本に忠実であることを忘れ,仮想したことが事実であるかのように見誤ることがある。自己陶酔や先入観により,正しい判断が出来なくなってしまうことがある。STAP細胞の場合,小保方さんを始めとし廻りの科学者は,iPS細胞に優る大発見と云う仮想に酔いしれてしまっていたのではないかとも想像できる。ただ,小保方さんだけはどうだったのか?捏造を何とも思わない名を挙げる執念に狂った女科学者だったのか,それとも自己陶酔に陥りやすい性格だったのか?報道などだけで知るには余りにも情報が少なすぎる。再発防止には,この部分の解析が不可欠である。
若い可愛い女科学者だったので,未熟なとか,廻りに祭り上げられたとか,マスコミの見方も大きい罪の割には優しい表現が目立つ。理研の上司達も,事実が徐々に判ってきても,厳しい態度になるまでは時間を要した。多分,これが若い男性の科学者だったら,こんな調子では済まされなかっただろうと想像される。同じ事実でも,人の執る態度は大きく変わる。書籍の中でも,科学者の良心を信じていたが,それが裏切られたとある。良心とは,社会一般の規範意識に照らして善悪を判断することだが,周囲に流されず完璧に出来る人は居ない。今回はまさしくそれが証明されたような結果である。
科学者にとって大切なことは,良心もさることながら,科学の事象に対する真摯さであり,これがすべてである。言い訳は不要である。正しい結果は,実証した事実が証明してくれる。
科学者としてのあり方を考えさせられた事件である
[Reported by H.Nishimura 2015.02.23]
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