■本質を究める 32 (No.390)

朝日新聞の誤報が話題になっている。少し意味合いは違うが,真実を正確に伝えることはなかなか難しい。記事を書く記者の主観が入ることは仕方ないことであるが,できるだけ客観的に真実を報道することがマスメディアには求められている。その報道による人々への影響が計り知れないからである。

  マスコミの報道

朝日新聞の誤報を会社として認め,社長自らが誤報を認めたのはつい最近のことである。慰安婦問題で吉田清治なる人物の発言を取り上げ,その内容があったかのように伝えたのは朝日新聞で,他社がでっちあげであることを調べ上げ,取り下げを迫ってもそのままにしていたのは,大新聞の傲慢さとしか言いようがない。この朝日新聞の記事で裏付けされたような形で,世界各国から非難を浴び,国益を大きく損なったものは大きく,未だに世界から日本を見る目が正せていない嘆かわしい状況である。

韓国の国柄もよく判らないところがあるが,日本との間で戦後の慰安婦問題も日本の低姿勢な対応で一旦解決を図ったように見られたものが,再び覆して未だにこれぞとばかりに日本を悪者のように言いふらしている。アメリカの各州で韓国系の中で,慰安婦の銅像を建てたりしている。日本人の一人として見ると,国同士の約束を平気で破るような国民でしかない,としか映らない。

今回の謝罪は,慰安婦問題よりも,東日本大震災による原子炉の対応に関する東電の取った態度に対する誤報に対してであった。一部の人しか見ることのできなかった調書を,朝日新聞社が描いていたストーリーに合った部分を切り取り報道されたもので,明らかに事実とは違っていたことを認めたものである。一部の人しか見ることのできなかったため,調書に対する見解を十分チェックできなかったことによるものと報道されている。

そもそもマスコミの報道は,事実を客観的に報道する使命を持っており,ものの見方が人それぞれ違うのでいろいろな意見があるが,それらも公平に載せ,判断は読者自身に任せるものである。マスコミの報道が,一部の意見に偏ったり,多少の誇張はあっても,間違った報道はしてはならないものである。それらを逸脱した朝日新聞の取り扱いは非難されて十分である。

とはいえ,マスメディアもいろいろな形態があり,必ずしも,客観的に事実だけを伝えているとは云えないところがある。確かに,ものの見方は100人居れば100様で,その見方には当然主観が入ってくる。それを,編集委員などがチェックして客観性あるものに仕上げるのである。ところが,チェック機能が十分働かないと,主観の入ったものが,あたかも客観的事実として報道されてしまう。昨今は,情報が溢れていて,間違った報道や,客観的事実とは異なるものは,インターネットなどで直ぐに曝かれてしまう。

私の経験からは,マスコミの報道が如何に読者を惹きつけようとして誇張されて報道されてしまっていたことを記憶している。40年以上も前の大学紛争のとき,私の居た大学も全学連の学生などで封鎖され,事務棟が占拠される事態になったことがあったが,実際,中にいた我々学生が見聞きし,経験した内容と,翌日の新聞報道とのギャップに愕然とした記憶がある。小さな事務棟の一部の占拠が,新聞では大学全体が占拠されてしまったような報道になってしまっていた。事実と報道にはこんなにギャップがあるのか,と体験した一場面であった。

それ以来,新聞記事には多少の誇張が含まれていて,そのまま鵜呑みするのはよくない,と学び,マスコミの報道にも慎重に対処するようにしている。まして,それを根拠に何か行動に移そうとするときは,他のウラを取った上で,判断するようにしている。そうしないと,マスコミに扇動されてしまう危険性があるからである。

真実を正しく伝えることは,口で言うことは簡単であるが,実際にはなかなか難しいものである。伝達の情報は,70%程度は落ちると言われている。つまり,正しい情報がそのまま100%相手に伝わることは無いのである。事実は一つでも,解釈によって変わる。不変ではないのである。意図的であったかどうかは定かではないが,偏った報道で国民を混乱させた責任は重い。

  受け手の読み方,聴き方,見方

最近では,マスコミの報道も,いろいろな角度からチェックできるようになってきている。例えば,今回の朝日新聞の誤報に関する吉田調書に関しても,マスコミの報道では,ポイントをついて分かり易く要点を載せてくれているが,一部の切り取りであり,それがすべてではない。したがって,その内容を詳しく把握しようとすれば,全体の調書が政府の下に置かれていて,読むことができるようになっている。全文を読むには時間と努力が必要であるが,これはと感じたものは,やはりその全文を読むことではっきりすることもある。

マスコミの報道は,客観性を重視したものであらねばならないが,紙面の関係上,限られたスペースの中で表現する必要がある。もちろん,専門性の高い,しかも日々繰り返し繰り返し訓練されている編集者であるからこそ,要点を掴み,伝えるべきことを掲載しているのである。だから,普通はその紙面を読むことで十分である。さらには,国民にとって重要なことは,テレビの報道番組でも放送されるので,やや違った角度からも見ることが容易にできる。

さらにインターネットの中では,それらマスコミの報道に対する見方も,様々な意見が述べられている。それらすべてを見聞することはムリでも,疑問を抱いたこと,何かしっくりしないことは,大抵は解決する方法がどこかにあるようになっている。ありがたい情報群である。しかし,一方でそうしたいろいろな意見に振り回されてしまうと,自分の考えが曖昧になってしまう危険性も孕んでいる。

基本に立ち返ることは大切である。見聞きしたことをすべてと思うことは間違いを犯す。総てにおいて,原本や全文を読むことは不可能なことであるが,ときには基本に立ち返って,見聞きしたことを確かめる姿勢は常に持っておきたいものである。

 

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[Reported by H.Nishimura 2014.09.15]


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