■本質を究める 28 (No.373)

韓国セウォル号沈没事故から学ぶ(国策のバランス)

  次々と出る不祥事

セウォル号の過積載が常態化,それを放置し続けた会社幹部,真っ先に逃げ出した船長,海洋警察の救助のお粗末さ,韓国政府の対応の不始末など挙げれば限りがない。これらを単に韓国の国民性とかたづけてしまうには行かない。確かに,こうしたことが起こるような国民性以上に,何がしてこのような事態になったか,その背景を探ることは必要である。

日本人,否世界のどの国の人々から見ても,今回の不祥事は酷すぎる。政官と産業界の癒着などマスコミを賑わしてはいるが,それは一つの要因ではあるだろうが,そうしたことが未だに平然と行われている韓国社会の根深き問題が潜んでいることは事実であろう。

  経済発展のつけ

いろいろな不祥事が発覚するにつけ韓国の国自体の低さが話題になっている。確かに事象だけを捉えると,一流国とは明らかに違うことは容易である。かといって三流国だと決めつけて済むだろうか?

今回の事故の背景には韓国社会がグローバル社会に対応すべく経済発展に重きを置いた付けが廻ってきているように感じる。1997年に起こったアジア通貨危機で韓国経済は大きな打撃を被り,これまでの政策を大きく転換し,経済発展が無ければ国が成り立たないとの意識から,経済発展を重視した,多少の弊害には目をつぶり経済発展を優先させた政策が行われた。それを韓国社会全体が望み,受け容れた。その結果,国自体の安定性は保たれ,グローバル社会で勝ち抜ける企業が現れるようになった。

このこと自体は,国力を増すことで国家の繁栄を願ったことで間違いでは無いが,そのバックに一部の大企業だけが大きな富を得るような構造社会を作りだし,貧富の格差拡大や産業界と官界の癒着などに目をつぶってきたことがある。今回の不祥事で少しは明らかになっているがそれも極一部だろうと思われる。

つまり,経済重視の政策に大きく舵を切り,国民の安心・安全な社会を目指す政策を疎んじてきた結果が今回の事故の背景にある大きな要因であると云える。国を富ませるには経済重視の政策は必要不可欠である。しかし,それを抑制するように働く安心・安全な国作りを軽視し過ぎた,つまり国の政策には或る程度バランスが必要で,ときには経済重視,ときには安全重視と両者が均等なバランスが取れていることが必ずしもベストではない。しかし,重点を置くにもバランスの限界があり,それを超えてしまうと取り返しのつかないことが起こってしまう。

1997年の危機と2014年の事故とは,平穏な安全社会と経済優先の競争社会,この両極端にバランスを欠いてしまったことではないだろうか?

  日中韓のいがみあい

韓国は今回の沈没事故に対して日本側の協力を拒んだとの報道がある。真偽はマスコミの報道でしか判断がつかないが,一般人から見ると大統領が意地を張っているようにしか見えない。日本側の支援がどれだけ役だったかは定かでないが,拒否さえなければ日本の技術で何らかの手助けができたと思われる。一刻を争う危険な状態では,通常であれば手助けを拒否するようなことはしないはずである。

それを日本の安倍首相と会話もしない態度が今回のことでも反映されているようである。確かに,日本との間に確執があることは事実であるが,緊急事態のときはそれを置いてでも人命第一に考えるのが当たり前である。その判断が出来なかった大統領に非を追究する韓国の被災者には同情の念を抱く。日本の首相と違って,大統領には全権が委ねられており,大統領の一声で事態は大きく違っていたのである。

日本の言葉に,「村八分」というのがある。これは掟や秩序を破った者に対して地域住民が結束して交際をしないことを云う。ここで八分と云うのは,10ある共同行為の中で,葬式と火事の場合のみは例外に共同でことに当たるとされている。当に今回の事故は,この例外に当たるような出来事で,共同してことに当たるべきではなかったかと思う。韓国にはこうした慣わしは無いのかも知れない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという諺が韓国にもあるのかどうか知らないが,日本嫌いがすべてに行きわたってしまっているようにも感じてならない。

隣国同士が仲良くと云うのはなかなか難しいことである。我々が隣と利害が反転して仲良くないことと同じである。しかし,隣国同士がいがみあった状態で居続けることは,お互いの利益を損なっている面が大きい。日本の安倍首相が経済の建て直しを最重要の目標とするならば,韓国・中国といがみ合いを続けることを早く止め,互恵関係が結ばれるような努力を日本自らがもっと努力する必要があるように感じている。もちろん,その姿勢を見せているとはいえ,その思いが相手に十分伝わっていないことを反省すべきである。対外に日本の主張を強く打ち出すだけでは解決できないことが多いのである。

  国策のバランス

日本社会がデフレからの脱却を目指し,経済成長を重要視する政策は大歓迎である。やはり,強い国日本でありたいと願う気持は人一倍強い思いがある。高度成長期を担ってきた団塊世代の多くがそう願っているのではないか。ただ,今回の韓国の事件から学ぶことは,国策をしっかり打ち出し,社会全体が一致してその実現を目指すことは大切なことである反面,行き過ぎると,見過ごされた部分に大きな欠陥が生じていることである。日本社会は,先進国の仲間入りしていて韓国のようなことは起こらないと云われており,私自身もそうだと信じているが,その奢りは決して良くない。

アベノミクスで経済成長が取り戻してきたかに見えるが,決してそうとは云えない。重要政策としてアクセルをふかすことは大切だが,野党が揃って弱体してしまっている日本は危険な状態にある。一党独裁何でもできるかのような錯覚があるような匂いがする。バランスにやや欠けた部分がある。安倍政権の強さに,脆さを感じさせるのは何故だろう。それは,国民にほんとうに強い日本が戻ってきていると実感させていない政策にあるのではないか。韓国を失笑するのはいい加減にして,日本を本当に強い国と感じさせる政策を一日も早く的確に打ち出して欲しいものである。

集団自衛権の行使を憲法解釈でやってしまおうとする安倍首相の強権は非常に危険に感じる。憲法を変えるならともかく,これまで日本政府がずっと続けていた解釈を,国際世論に合致しないから変えてしまおうとするやり方は,国民を無視し(軽視しているとしか思えない),憲法を揺るがしてしまう非常に危険なやり方である。今の時代にマッチしない部分は,国民投票で憲法を変えるオーソドックスな方法で進めるべきである。それを拙速になぜ進めるのか理解できない。それ以上に,今は経済の成長をしっかりとしたものにすることに全力を注ぐべきときである。そうしないと本当に日本が世界が認める強い国に戻ることができない。

人の振り見て我が振り直せ

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[Reported by H.Nishimura 2014.05.19]


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