■本質を究める 19 (No.330)

技術に溺れず,素直に他人の意見を聞く

  技術がすべてと思い込む

技術者は新しい技術や突出した技術に非常に興味を抱く。そして,そうした技術を製品に反映させようとする。今までに無かった技術を駆使して新しい機能や素晴らしい性能を発揮させることができる。それが実現できることは技術者冥利に尽きると言っても良い。新しい発見や発明はこうした技術者の並々ならぬ努力と閃きから生まれる。

そうした事実を知っているので,少しでも新しい技術や目立った技術を駆使して作った製品には愛着があり,顧客が買ってくれるものと思い込むことがある。技術者の嘆きに,こんなに素晴らしい技術を盛り込んだ製品なので必ずヒット商品になるはずなのに,何故か顧客が判ってくれない,どうしたものなのだろう?と。

技術者の頭脳構造は,素晴らしい技術=素晴らしい製品 なのである。つまり,技術が良ければ製品も良いモノだ,との強い思いなのである。実際に,良い技術を組み込んだ製品は,以前のものよりも改良が加えられ,性能的にも良くなっていることは確かなことである。だが,良い製品,即ち顧客が喜んで買おうとする製品かどうかは,観点が違ってくる。つまり,顧客は組み込まれた技術が素晴らしいモノかどうかはそれほど関心が無い。それよりも,以前より使い勝手が良いとか,以前はできなかったが欲しい機能が追加されたとか,あくまでも使う側での観点である。

ところが技術者はなかなかそうは見ないことが多い。製品としての機能や性能が如何に優れているかどうかが評価のメジャーであることが多い。顧客が買うのはたまたま人気がある商品だとか,ちょっとした付加機能を重視したりとか,気まぐれで決められることが多いと見なしている。ヒット商品にすることは願望であるが,技術の優れたものが搭載されていないようではなかなか満足しないのである。

こうした技術者の気持は自分が技術者であったことから痛いほどよく判る。自分自身も嘗てはそのような思いでいたことも事実である。技術者として,やはり技術で勝負したいと思うのは当然である。技術で勝ったり負けたりすることには納得ができるが,技術でない面で勝敗が付くことには何か釈然としないものが残る。

  顧客を目下の目線で見る

しかし,よくよく考えてみると,自分は技術者で技術のことは一番良く判って居る。顧客は製品にどのような素晴らしい技術が組み込まれているか判っていないのだ,と顧客を見下していることになってはいないか?

顧客がその製品を良いかどうかを判断するのは,その製品の価値である。技術に良さなどではない。つまり,支払った対価に対して,期待以上の価値がある製品であれば,良い製品であり,自ずと人気も出てくる。極端に言えば,素晴らしい技術はそれほど駆使されていなくても,顧客の期待することができるような商品になっておれば十分で,顧客の満足度は高くなる。

製品を生み出すことで大切なことは,技術者の価値観ではなく,顧客の価値観である。だから,技術者が製品開発するときに,市場や顧客の声を聞こうとするのは,大切なことなのである。そのことを頭で判っている技術者は多くいるが,いざ開発に従事すると,技術者の頭が離れない人が多い。心の奥深く,深層心理に,良い技術=良い製品 が常にあるからであろう。

市場や顧客の声が大切だからと言って顧客の言いなりの製品を開発していても,必ずしも良い製品にはならないことがある。つまり,顧客は今あるものからの発想であり,僅かな改良はできるが,突拍子もない要求には技術がついて行かない。それよりも,技術者が市場や顧客の声に耳を傾け,そのニーズから持てる技術を駆使して創造した新しいニーズを呼び起こすようなことができれば,画期的な新製品が出てくる可能性を含んでいる。

技術者が市場や顧客の声を,上から目線で見下して聞いているようでは,なかなか新しいニーズを創り出すようなことにはならない。技術者自身,自分はそんなことはしていない,と言っている人に限って,自負心が強く,顧客を見下していることが多いから注意しよう。

良い技術を組み込めば良い製品になるとは限らない

技術者としての自負心が強すぎないか!!

 

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[Reported by H.Nishimura 2013.07.22]


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