■本質を究める 10  (No.293)

最後まで諦めない気持(執念)が良い結果をもたらす

 ○ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中教授

山中教授がノーベル賞を受賞されたのはいろいろな理由が述べられているが,その基にあったものは,目標に向かって突き進む中で様々な困難,難局に出会っておられるが,必ず成功するんだと云う自信に満ちた気持と,それを支えた最後まで絶対に諦めない執念がこのようなラッキーな結果を生んだと思われる。

初期化に関連する遺伝子の24個の中から,どの組み合わせをすれば良いかと探り出す実験では,20年も30年も掛かるだろうと思いながらも,それを一つずつ探り当てるまでやろうとする精神,根性とでも言うべき執念であり,それを実験する助手には何年かかっても良い,例え適切な組み合わせが見つからなかったと云う結果が出ても,後々の仕事は保証するから安心してやってくれと頼んだと聞く。ここまでできる人は数少ない。だからノーベル賞を受賞する栄誉に輝いたのだろう。

 ○粘り強く頑張ること

成功した人の談話を聞くと,必ずと云って良いが,多くの失敗を経験しておられる。もちろん,小さな失敗から,大失敗まで,その出来事は様々で,その時のがっくりした落ち込んだ記憶は結構残っているようである。しかし,そうした数々の失敗の中からもはい上がり,成功に結びつけている人も多い。と云うより,失敗で終わってしまっている人は話題にならないからだろう。失敗を乗り越えた経験を持つ人は,必ずと云って良いほど,失敗のままで終わらせずリカバリーショットを放っている。それができるのは,最後まで諦めない気持がそうさせているようである。

運動会などでよく見る光景だが,かけっこでビリの人を拍手して応援するのもその一つである。また,鳴くまで待とうホトトギス,とじっくり最後まで待っていた徳川家康が,織田信長や豊臣秀吉らの武将よりも栄華を築いたのも,辛抱強く時の来るのを待っていたことに例えられる。

簡単には諦めるな,最後まで頑張れ,と云うようなことは子供の頃から幾度となく教えられてきている。後述する諺の数々がそれを物語っている。

 ○昔の諺にも幾つか最後まで諦めないことに関するものがある

 ・石の上にも三年

冷たい石の上にも三年座り続ければ暖まる。どんな辛くても我慢強く頑張れば,やがて報いられる。

 ・臥薪嘗胆

仇討ちや復讐などの目的を忘れないために,薪の上に寝たり,苦い胆を嘗めたりして自分に試練を課し,努力すること。

 ・千里の道も一歩より

千里もの遠くへ旅立つのも,足下の第一歩から始まる。遠大な事業や目標も,手近なところから着実に行うこと。

 ・塵も積もれば山となる

塵のような僅かなものでも,積もり積もれば山のような大きなものになる。

 ・雨垂れ石をも穿つ

雨垂れも,長年に亘って石に落ちれば石に穴を開ける。僅かな力でも根気よく続けることによって事が成就する

 ・ローマは一日にして成らず

ローマ帝国の栄光も一日で築かれた訳ではない。大事業を成就するには,長い年月と苦労を要すること。

 ○最後まで諦めない気持が解決策を導く

私が経験した執念が実った話をしよう。どこかで述べたので繰り返しになるが,実際の話である。

開発プロジェクトが行き詰まり,そのプロジェクトの製品化を諦めなければならない状況に陥ったことがある。製品化をしようとするには,採算が合わなければならない。その一つは歩留まり(商品に仕上がる割合)が高くないと,余分な材料費,工数がムダになって原価を押し上げてしまう。通常,9割を切るような製品はめったにない(なぜなら,1割のロスが必ず出る)。もちろん,全く無い訳ではなく,そんな悪い歩留まりでも商品価値を認めて,高価に買って貰える製品も中にはある。

開発していた製品は,その当時,5割程度の歩留まりで,工場側(製品を作る部署)からは,そんな製品は量産引継はできない(量産化するためには,工場側の承認が必要で,採算が合うかどうかが大きな決め手になる)と云われていた。つまり,多くの人を掛け,開発してきた製品が,量産を前にして開発中止に追い込まれる寸前だった。

メンバー全員が何とか量産に漕ぎつけたいと,歩留まりを上げる工夫をいろいろな角度から検討していた。来る日も来る日も,データと突き合わせながら,少しでも改善できると喜び,元に戻って歩留まりが改善されないと判るとがっかりする,その繰り返しだった。いよいよ決断が1カ月後には下される時がきた。私を始めメンバー全員が,ここまで頑張ってきたがあらゆる手を尽くしても歩留改善はこれ以上はムリかと諦め掛けてきていたが,「とにかく最後まで諦めずにやってから終わろう。もう一度,何か手は無いか考え直して欲しい」とメンバーに頼んだ。

私自身も,もうダメかと思う気持があったが,とにかくもう一度基本に立ち返って,実験結果から得られたデータを見直すことにした。データは数値の羅列であった。機械的な角度調整を限界に近い挑戦をしてきたが,現行の量産に見合う装置では実現が不可能だった。データが示す+−の数値は,それが限りなく0になることを要求していた。+のデータを示すものは,−側に角度をずらすが,微妙な割合で0にはならず(±0.00○○までは認められる),規制外に外れてしまうのだった。角度の調整では振れが大きすぎるのなら,他に方法は無いのか?

そこで思いついたのが,角度調整するのではなく,エッジ部分をヤスリで少しこすってやってみた。その結果データは変化した。それを詳細にやってみると,一定の方向性があることが判った。つまり,右側か左側かヤスリでこすることで,必ず+側,−側のいずれかに振れることを見つけ出した。それもヤスリでこする回数で変化することも判った。ある規則性を見出した瞬間だった。

それを基に,計測したデータから,右側,左側のどちらの側面を何回ヤスリでこすれば,0に近づくことが確実にできるようになり,規定内の数値に納まる修正方法ができたのである。後は,そのやり方を如何に量産工法で実現できるかであり,これもそれほど難しくない方法で実現でき,結果的に歩留まりが90%以上を確実に確保することができたのだった。このことを工場側に報告し,工場側もこれならば量産可能と判断してくれた。開発引継が完了し,その後工場側での改善も進み,グローバルシェアを一時は90%にもなる超優良製品になったのである。本当に製品開発者冥利になる商品に成長してくれたのである。

後でよくよく考えてみると,新たなやり方を思いついたと述べたが,製品の方から私への呼びかけだったようにも思う。「何とか商品化してください」と製品が私に呼びかけてくれたお陰だと思っている。即ち,本当に困って製品に問い掛けたら,製品が応えを持っている。ぼんやりしていてはそれを見出せないだけだ。そのくらい,製品に問い掛けろ,じっくり見れば製品が解決策を教えてくれると以後の後輩には諭している。

諦めがあと少し早ければ,ここまでの商品は生まれなかったと思うと,最後まで諦めず執念深く努力することがこんな形で成果に繋がるのだと改めて感じたのである。

 

以前へ 本質を究める 9  次へ 本質を究める 11 

 

[Reported by H.Nishimura 2012.10.29]


Copyright (C)2012  Hitoshi Nishimura