■本質を究める 5 (No.270)
素直に見ることは簡単なことであるが,実際にはなかなか難しいことである。
素直に見ることは難しい
次の図を見ていただきたい。事実・事象を的確に捉えようとしているのだが,なかなかそうなっていない事例である。
@一部分しか捉えていない
小さな穴,小さな窓から,象のような大きなものを見ると,目の前のものしか見えず,黒い塊(身体の一部)とか,太い棒(足の部分)など象として捉えることができないことがある。これは日常生活でもよく起こっていることで,自分自身が小さな穴からしか見ていないと気づいていない場合である。
Aフィルターが掛かって見える
自分の眼で見ているのでフィルターなど掛けていないと感じているが,実は自分の中にあるフィルターを通してしか物事を見ていないのである。無意識の中にフィルターを掛けてしまっている。
B一方向からしか捉えていない
実際やってみるとよく判るが,両目で見ているので間違いないと思っていても,一方向からしか見ていないことは良くあることである。丸いもの(円柱など)でも一方向からは,長方形にしか見えないものである。
C偏見で見る
一般常識があればあるだけ,常識の範囲で物事を見分けている。
過去の経験から物事を見ている
上の事例で判ったように,我々は物事を素直に見ているつもりであっても,見えたまま,感じたまましか見ていないことが多い。それ即ち,実際にはこれまでの経験などを活かして物事を見ていることなのである。決して経験を通じて見ることは悪いことではないが,物事の事象の認識がこの程度であることを知っておくことは大切なことである。
物事を素直に見ることは,言うは易しだが,行うのは難しいものである。自分自身は素直に見ているつもりでも,上図で示したように,何らかの限定された中,又はフィルターを通して見ていることが多いのである。つまり,素直に見ること=自然に逆らわず感じたまま見ること だとすると,この感じたままと云うのが主観が入ることになる。この主観は,自分自身のこれまでの知識や経験などによって培われたものに左右される。なかなか客観視はできていないものである。
我々のものの見方は偏見を持った見方をすることが多い。すべてのものを等しく見ている人など居ない。よく目にするロゴや看板を記憶を基に書こうとしてもなかなか書けない経験は誰しもにあることである。つまり,よく見て知っているつもりでも,ただ漠然と認識している程度であり,また,その程度の認識で我々の生活は十分できるので困ることは少ない。しかし,よく見ているつもりでも,いざ書こうとすると書けないことは,厳密に言えば,見たいもの,見ようとするものしか見ていないことになるのである。
技術者にとって素直に見ることは重要
技術者の仕事は,起こった物理事象を理論付けして再現させることだったり,事象の原因を追及することだったり,或いは理論から導き出した実験を行い,その結果を調べることなど,自然界の事象を歪むことなく見極める必要がある。そこでは,主観的になったり,経験則からの推測を入れてしまったりしてはいけない。つまり,あるがまま素直に起こった事象と向き合うことである。十分判っているつもりでも,つい主観的になった判断をしてしまうことがある。
新製品開発など,なかなか思い通りにことが進まないことが多い中,あまり感情的にならず冷静にことを運ぶことが必要である。発生した事象をそのまま素直に丁寧に分析すること,予測したことと違った結果になっても,それが偶然の出来事か,再現することなのかを見極めるなど,地道な努力の繰り返しが必要なのである。技術者といえども,いつも冷静で居られることは難しく,その時の感情に流されるので注意が必要である。
起こった物理的事象は,人の感情のようにそのときによって変わるようなものではなく,必ず法則に従って規律正しく現象として現れる。ただ,我々が認識することが不十分だったり,見過ごしたりすることで,あたかも変わった現象が起こったように感じることがあるが,そのようなことは無く,必ず原因があり,それによる結果として現象が現れる。だから,根気よく素直な目で見ることが必要で,それができることによって,法則が見つけ出され,再現可能な事象となるのである。
技術者でノーベル賞を取った人の談話に,偶然の誤った出来事から新しい事実を発見した,と云うのがある。凡人は,間違ってしまったと誤ったことを破棄してしまうことが多いが,間違ったことの中にも新しい事実があると常に素直に見るところが非才なのであろう。ノーベル賞ならずとも,優秀な技術者はときには泥臭く,地道な努力を積み重ねて成果に繋げていくことをしている。
素直に見るにはどうすればよいか
それではどうすれば素直に見ることができるのか? 上述した裏返しをすれば良いのであるが,それは応えではない。素直に見るにはやはり日頃からの訓練・努力が必要で,単に子供のような素直さで見るだけではない。
一つには,物事を深く観察する訓練である。深く観察するとは,どうしてそのような事象になったのか,どうすれば同じ事象が起こせるのか,既に知られた知識を事前に学ぶこと,専門書で調べてみることなど,広く知識を収集してみることである。先人の為し得た知識を十分活用すべきで,自らがすべてできる訳ではないし,自分でやっていては時間がいくらあっても足りない。
新しいことへの挑戦はそうした専門書も無いことがある。そんなときは,マクロ的な視点とミクロ的な視点の両方から,地道に分析して事実を究明していくことである。そのために必要なことは,やり遂げる情熱であり,忍耐強い信念で,人間の強い意志である。これらが必ず道を拓いてくれる。そうした経験は,技術者を数十年やっていると経験することである。
[Reported by H.Nishimura 2012.05.14]
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