■もしドラ 開発リーダ編 6 〜マネジャとは〜 (No.226)
もしドラは,みなみが高校野球部のマネジャになり,マネジャとは何かを考えることから物語が始まっている。「マネジメント」もそもそもは組織運営をする上手いやり方,考え方について述べているもので,それは管理監督者だけのものではなく,全員がこの考え方を熟知して行動すれば,素晴らしい運営ができることを示している。
マネジャとは
ドラッカーはマネジャについて次のように説明している。
マネジャとは,「人の仕事に責任を持つ者」と定義されたが,この定義は満足できるものではなかった。それは,組織には始めから,明らかにマネジャでありながら,しかも責任ある地位にありながら,人の仕事に責任を持たない人たちが居た。
今日急増しているのは,「組織の成果に責任を持つ者」で,人の仕事に責任を持つ者,ないしボスと云う意味でのマネジャではない。専門家として組織に貢献している人たちである。
マネジャを見分ける基準は命令する権限ではない。貢献する責任である。権限ではなく,責任がマネジャを見分ける基準である。いわゆるマネジャと専門家の関係も,マネジャを責任と機能によって定義することによって,初めてはっきりさせることができる。
専門家にはマネジャが必要である。自らの知識と能力を全体の成果に結びつけることこそ,専門家にとって最大の問題である。
マネジャであれ,専門家であれ,マネジメントの一員であることには違いがない。彼らに対する要求に差があってはならない。マネジャと専門家の違いは,その責任と活動において,マネジャの方が一つだけ余分な側面を持っていることにある。機能でも貢献でもなく,手段に違いがあるだけである。会社組織でマネジャと云うと,一般的には部長など,組織のボス的な存在を意味し,大きな権限を持った人をイメージさせるが,ドラッカーの云うマネジャは上述のように,専門家として組織に貢献し,その貢献責任を持っている人と述べ,権限だけを振り回している人手は無いと明解に述べられている。世の中の多くの部長さんが真のマネジャに成り得ているのか,疑問符が付けられる部分があるのではないか?
マネジャの役割
続いて,マネジャの大きな役割が二つあると説明している。
第一の役割は,部分の和よりも大きな全体,即ち投入した資源の総和よりも大きなものを生み出す生産体を創造することである。
それはオーケストラの指揮者に似ている。
マネジャはマネジメントの一員として,事業のマネジメント,人と仕事のマネジメント,社会的責任の遂行という三つの役割も果たさなけ ればならない。あらゆる決定と行動は,三つの役割のすべてにとって適切でなければならない。第二の役割は,そのあらゆる決定と行動において,直ちに必要とされているものと遠い将来に必要とされるものを調和させて行くことである。いずれを犠牲にしても組織は危険にさらされる。
あらゆるマネジャに共通の仕事は五つであると説いている。
@目標を設定する
A組織する
B動機づけとコミュニケーションを図る
C評価測定する
D人材を開発する次に,もしドラの作者,岩崎夏海さんもよく語られるフレーズ「真摯さ」があり,ドラッカーの言いたい重要な部分を紹介しておく。
マネジャは,人という特殊な資源と共に仕事をする。
人を管理するなどだけでは十分でなく,根本的な資質が必要である。真摯さである。最近は,愛想良くすること,人を助けること,人づきあいをよくすることが,マネジャの資質として重視されている。そのようなことで十分なはずがない。
上手く行っている組織には,必ず一人は,手を取って助けもせず,人づきあいも良くないボスがいる。何が正しいかだけを考え,誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。このような資質を欠くものは,如何に愛想がよく,人づきあいがよく,有能で聡明であろうとも危険である。マネジャとしても,紳士としても失格である。
マネジャの仕事は体系的な分析の対象となる。マネジャにできなければならないことは,その殆どが教わらなくとも学ぶことができる。しかし,学ぶことの出来ない資質,後天的に獲得することの出来ない資質,始めから身に付けていなければならない資質が,一つだけある。才能ではない。真摯さである。ドラッカーは,マネジャの仕事を次の4つの視点から設計しなければならないと説く。
@マネジャの本来の機能,即ちマネジャの仕事そのものがある。これは継続的な職務である。
Aこれだけでは,個々のマネジャに期待する貢献は明らかにはできない。割り当てる仕事と云うものがある。個々のマネジャに対し,組織や上司が設定する責任である。この貢献の責任が,職務規定に示したものを超えていることが,優れた成果を上げる者の印である。
Bマネジャの仕事は,上,下,横との関係によって規定される。
Cマネジャの仕事は,必要とする情報とその情報の流れにおける彼の位置によって規定される。これら四つの視点から自らの仕事を主体的に知ることは,個々のマネジャ本人の責任である。
今回は,「マネジメント」に書かれている内容をコピーした部分が殆どであるが,マネジメントについて,或いはマネジャの役割について素直に考えさせられる部分なので,敢えて私の意見を述べるのではなくそうしてみた。
最後に,マネジメントについての私の意見としては,世の中にマネジャと称される人が無数に居る。しかし,その大半がドラッカーの「マネジメント」を理解しているかと云えば,必ずしもそうではない。しかし,役職としてマネジメントを行っている。それはその殆どが見よう見まねで,真にマネジメントを考えて行動して居るわけではない。その数%でも,改めて「マネジメント」の書物に触れ,感じるところをその組織活動に活かせれば素晴らしい成果が出てくるだろう。その意味で,「もしドラ」が投じた一石は非常に大きいと感じている。
みんながマネジャの考え方を身に付けよう
[Reported by H.Nishimura 2011.06.27]
Copyright (C)2011 Hitoshi Nishimura