■仕組みで解決できるのか?(No.170)
職場でいろいろ起こる問題に対して,いろいろ原因を究明して,その解決策を検討することがあるが,通常一般には,仕組みやプロセスに問題があったのでそれを改善すると云うことで,一件落着することが多いが,果たしてこれで再発は起こらないのだろうか,と疑問を感じたので述べてみる。
一般の解決策
何か問題が起きると,再発防止策を検討しようと云うことになる。そのやり方を見ていると,先ずどこに問題があったのか,その原因を探ることから始められる。先ずは,起こった問題の事象をきっちりさせ,それを起こさせた要因は何だったのか,なぜ,なぜ,と問いかける。そうすると,例えば,ここのプロセスに問題があったのではないかとか,ここの責任が不明瞭だったのではないか,など大凡,みんなが考えていた原因に近いところに行き当たる。そこで,それでは対策として,ここのプロセスの不十分だったところをこのように改める,或いは,各々の責任をもっと明確にするとか云ったプロセスの一部の改善,或いは責任分担の明確化などの解決策で,再発防止を図れた,とされる。ここまで,きっちり再発防止されていないところもあるが,確実に再発防止策を検討されるだけでも,組織的にはしっかりしている部門だと云える。
再発防止策が仕組みを前提に考えていないか?
ここで,疑問を呈するのは,再発防止策だから,何か仕組みなりプロセスを改善することがなければ再発防止策にならない,と判で押したように,殆どの人が考えることである。
確かに,我々人間はミスをしたり,間違ったりするので,それを回避する,或いはミスをしても,それに気づくような仕組みやプロセスを考えることで,再発防止を図ろうとしているのであって,決して間違ったやり方ではない。しかし,問題の原因を究明する前提が,仕組みやプロセスに落とし込まなければ,意味が無いように感じてしまってはいないだろうか?つまり,仕組みやプロセスに落とし込まれるように,原因究明をやっているのでは無いだろうか?
そもそも問題はなぜ起こるのかを考えると,会社組織での仕事は一人ではできず,各々が分担しながら仕事をすることが前提に成り立っている。したがって,一人の人間の思考で統一された訳ではなく,その分担した部分の役割を全うすることが第一であって,それ以上でも以下でもない。それらが,一人の人間の思考のごとく連携されていれば,それほど大きな問題は発生しない。ところが,事象は役割を定めた範囲に確実に落とし込まれるものではなく,二つの分担に跨ったり,両者の中間的なものだったりと,様々なものがあって,それらの事象を分担した部門がコミュニケーションを図りながら,連携良く進めるのが仕事で,どちらか判らないような事象は,両部門を跨る上司が,どちらかの担当にするなりして進められる。
問題は両者の連携が悪い状態のときによく起こる。当然である。二つの違った思考で処理,判断を下すことになるから,相反する場合があったり,譲ったつもりがそうでなかったりと。或いは,一方のスキルがかなり低く,もう一方でカバーしようにも無理だったり,といろいろなケースがある。こうしたことが起こって,人のなす業である連携の悪さなどの再発防止を仕組み,プロセスに落とし込もうとするには,かなり無理があったり,ムダな仕組みやプロセスを作ってしまうことにならないか?と云う素直な疑問である。通常,連携が良かったら何の仕組みもプロセスにも問題がないし,或いは上の上司の判断が早ければ,連携の悪さもすぐに顕在化して,問題になる前に対処できていた可能性も大いにあり得ることである。
つまり,いろいろな事象はすべて仕組みとプロセスから成り立っておれば,それらの改善が重要であるが,どうも真の原因究明をしようとするときから,仕組みやプロセスの欠陥を無理に探そうとしてはいないだろうか?それは,再発防止は仕組みで押さえ込むとしたマニュアルではないが,これまでの経験則が先に働いてしまって,真の原因究明を回避してしまっていることがないだろうか?
人間のなす業では,究極やはり人間が関係する。仕組みやプロセスでは表し切れないノウハウ含めた個性を持った人間としての行動が組み合わさる。多くの人が,或いは新人が必ずと云って良いほど誤りを侵しやすいようなことは,仕組みやプロセスで押さえることは大切である。しかし,起こった事象すべてを仕組みやプロセスで再発防止に努めることが果たして本当に有効な,経済活動含めた解決策になるかについては,甚だ疑問が残る。
つまり,人の行動は何度もこの「技術よもやま話」でも述べてきたように,役割(ミッション),技能(スキル),意欲・意識(モチベーション)の重なった部分で発揮されることになる(No.87,No.121)。したがって,行動に問題がある場合,必ず役割(ミッション)が原因で,それに対する対応として,仕組みやプロセスを改善することになるのか?と云う疑問でもある。技能(スキル)や意欲・意識(モチベーション)が低くて問題が起こることもあり得ることである。それらを,敢えて目を瞑って回避するがごとく,仕組みやプロセスで改善しようとするのは,いささか無理があるのではないかと云うのが,私の最も言いたいところである。
つまり,技能(スキル)の問題は,個人なり組織の批判につながるかもしれないが,個人や組織が能力を上げることがやはり一番の解決策である。また,意欲・意識(モチベーション)も同様で,モチベーションが下がっている原因を究明して,それに対する解決策を検討するのが,真の再発防止策ではなかろうか。それらを,何か仕組みやプロセスで解決できないかと,またそれしか再発防止策にならない,と考えてしまうのは,いささか見識が狭い気がしてならない。
もっと別な例を挙げれば,原因究明がなかなかできない,つまり,原因だと考えることに次の原因があり,これが最後には,最初の事象に戻ってしまっている,つまり「負のサイクル」が廻っていて,これが究極の原因と云うものが,幾つもある場合がある。こうした場合,どこかで,この「負のサイクル」を断つ,仕掛けが必要で,これは仕組みでもプロセスの改善でもない。組織そのものの改革と云った方が良いのかも知れない。これらの場合も,仕組み,プロセスで何とか結着をと最初から決めつけて掛かると,本当の正しい解決策には到らないことになる。
いずれにせよ,再発防止策=仕組み,プロセスの改善 と一義的に決めつけるのは,本当に正しい解決策とは限らないことは頭の角のどこかにおいておいて,真の解決策は何か,と問いかけることをして欲しいものである。
真の原因究明よりも解決策への落とし込みの発想が先になっていないか?
[Reported by H.Nishimura 2010.05.24]
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