■報告書作成のポイント 1 (No.126)

以前,課題の見つけ方については述べたことがある。(課題の見つけ方1(No.89),2(No.90),3(No.91))
なかなか,的確に課題を見つけて報告書にまとめることは難しいことである。特に,プロジェクトのリーダをやっている人でも,上司に的確に報告できるか,と云うと実際なかなか上手く行っていないのが実態である。まして,プロジェクトを外から監視をしているような人が,的確な課題を抽出,報告するには,相当な経験と論理力,表現力を持っていないと非常に難しい。昨今,こうした非常に難しい立場の仕事をしながら,同じ仲間の人の報告書を見ていると,いろいろな問題点が見えてくる。上述の課題の見つけ方と少しは重複する面もあるが,問題点とその解決策を考えてみることにする。

  1.報告書の目的,価値を考えて報告書を作っていない。

プロジェクトの当事者でも同様だが,第三者的立場で報告書を作る場合,それなりの目的,その報告書の価値があるはずである。プロジェクトの場合,その進捗に当たり,デザイン・レビュー(DR)と云って,ある時点で,その進捗具合(Q・C・D)が予測通りかどうか,チェックが行なわれる。或いは,定期的に(毎月月末など)進捗状況を報告するような場合もある。DRにせよ,毎月の報告書にせよ,その報告書を誰宛に作成し,その価値としてどのようなことを期待されているかを十分知っていなければいけない。

ところが,拙い報告書はまず,こうした目的,価値を全く考えずに作られる。即ち,報告書のHOW−TOが一番にあり,どのような体裁で報告書をまとめるかに視点がおかれてしまっている。初心者は多少は仕方ない面もあるが,いつまで経っても,その目的が理解できていない人が案外多い。

第三者からの報告書の場合,宛先がプロジェクトリーダ,サブリーダ及びその上司である場合が多い。つまり,プロジェクト内容をある程度判っている人,或いは報告書を作成する人よりプロジェクト内容に十分長けた人に報告する場合は,単に見た現象,或いは聞いたことを報告するだけでは価値がなく,(相手に価値を与えるには)非常に難しい報告書が要求されることになる。

つまり,プロジェクトをやっている人に,プロジェクトの上滑りの部分を報告しても,極端に云えば全く価値がない。貰った側から見れば,わざわざ時間を使って,この程度の報告なら不要だ,と思われ兼ねない事態が起こる。まして,その報告書を作成するために判らないことをいろいろ聞かれること事態,非常に煩わしいのである。なぜなら,そうしたときは必ずプロジェクト側も必要な書類作成に追われて忙しい時期なので,それどころではないタイミングなのである。それを知らないで,第三者が自分の報告書作成を中心にだけ考えていると,プロジェクトの協力者でなく,邪魔者扱いにされる危険性さえある。

また,報告書はプロジェクトリーダだけでなく,その上司も重要な報告先であることを忘れてはならない。
プロジェクトリーダは忙しく,全貌を把握しようとしながら,やはり現実に起こる緊急課題のやりくりに忙殺されていることが多い。そうした場合,第三者が重箱の隅を突くような問題点をいろいろ暴かれるのはリーダにとっては,余分な仕事を作ることになり(上司から追求がある場合も出てくる),あまりありがたいことではない。そうかといって,プロジェクトリーダの云っていることの鸚鵡返しや,気に入るような内容ばかりの報告書では価値がない。つまり,プロジェクト全体を見て,重要なことはプロジェクトリーダを気にせず,自分の目で確かめ,確実な内容はきっちり報告することに努めるべきである。もちろん,事実誤認があっては報告書の価値が落ちるので,事実はプロジェクトリーダなどに確認を取る必要がある。意見はプロジェクトリーダと多少食い違いがあっても構わない。重要なのは,第三者の目で,プロジェクトリーダなどが気づかないことをきっちり分析し,報告することで,このようなポイントが報告書の一部にでもきらりと光っていると,その報告書の価値が相手に認められることになる。

このようにできるには,経験も必要で時間も掛かるが,同じ報告書を作成するにあたり,是非心掛けたいポイントである。
なかなか難しいことであるが,経営的な観点,本ホームページの目的でもある技術経営の視点などが入った報告書ができると,部長レベル以上の経営者には,その報告書としての価値を評価されることになる。プロジェクトリーダは一般的には,技術的には優れているのが殆どだが,経営者としての力量はまだまだと云った場合が多い。その重要な一番目のコツは,全体から眺めることである。担当者としては,プロジェクトの中で見聞きするのは,部分的な詳細なやりとりである。そこでの問題をそのまま取り上げても,経営的観点では決して重要なポイントではない。それらは,プロジェクトの担当者間で詰めればよい問題で,全体への影響がどうなのかがポイントであって,担当者間のやり取りの問題でも,プロジェクト全体の大きな課題に膨らむようなものであれば,そうした全体の観点で捉えて報告することが必要なのである。

ところが,その全体から見る視点が難しい,なかなか出来ないのである。つい,見た現象,部分的な問題をあたかも自分で重要問題として詳細を記載しても,それらはなかなか上には伝わらない。せいぜい,詳細に分析しているな,と云った程度になってしまう。それよりも,自分の主張を踏まえ,全体から見ると,将来的にこうした問題に大きく発展するリスクを含んでいるので,今の内にその芽をきっちりつまんでおくようにして欲しい,と云った表現にした方が訴求点として有効である。ここに少しでも経営的視点,例えば生産性などが加われば云うことない。何事も,大枠から部分的に入ることが報告書として相手に伝わり易い。

  2.論証をきっちりできていない。

上述した大枠から部分的に捉えることができても,相手にきっちり伝わるような文章の構成にしなければ,伝えたいことも伝わらない。ところが,ここでも拙い報告書は,その論点が曖昧で,その論証も疑問視されるような内容になっている場合が多い。
それらは,先ず自分が言いたいこと(論点)がはっきりしていないことである。何か言いたいようであるが,内容を読むと,プロジェクト側がそう言っているといったものから,現象だけを述べてそれから何を言いたいのか,それがよく判らないものなど様々である。報告書としてまとめるとき,先ずここで自分が言わんとすることは何なのか,きっちりさせることが重要である。言いたいことがなく,現象だけを並べる
のは報告書としては不要である。どこかサーバ上のデータなどを見るだけで十分である。報告書にまとめるのは,相手に読んでもらって価値を与えることなので,自分の主張が無いような部分は不要である。とにかく,報告書として書く内容が決まっているので,それを埋めなければならない,と云ったものは,作る時間も,またそれを読む時間も共に無駄な時間になってしまうことを肝に銘じておくべきである。

その言いたいこと(論点)が決まったとして,それをどの現象から導き出すか,ということになる。簡単な一つの事象だけで,いきなり結論にもってくる例があるが,これは如何にも論理の飛躍で,読み手に全く納得性を与えないことになる。論証の方法として,帰納的方法や演繹的方法を手法としては学んで知っていても,いざ使う段になると,それらが十分活かせないことが起こる。

報告書では数値を扱うことがよくある。ところが,同じ文章内で数値の矛盾や間違いがあると,途端にその報告書の価値がなくなることがある。ケアレスミスでも許されないが,堂々と間違ったことを知らない或いは矛盾した内容を平気で使っている場合もよくあることである。特に,数値に強い人と弱い人では極端に差が出る。数値は誰が見ても同じ判断が可能なので,絶対に間違うことは許されない。だから,
数値は全体の傾向から見ておかしくないか,或いは,前半で述べた論調と後半の数値の傾向が矛盾がないかなど,計算だけに頼ることなく,全体の流れや傾向などから読み取ることをしておくと,大きな間違いは起こさないようになる。(数値の扱いのいい加減な報告書は信用されない)

見解はいろいろあるが,事実は一つしかない。したがって,事実から自分の主張や見解を述べることが重要である。それを,プロジェクトリーダがそう言っていたなど,他人の意見を論拠に説明をすると偏りが出てしまう。事実と違ったことが起こる可能性が出てくる。意見や見解などと事実をきっちり区分して論理を展開することを身に付けておくことは大切なことである。

(続く)

報告書を書くに当たって気をつけたいこと

 

 

[Reported by H.Nishimura 2009.07.13]


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