■本質を究める 56 原点回帰  (No.503)

我々は何かをしていて,ふと何のためにしているのか,そもそも元の原点は何だったのかなどと,現実の行動との違いを感じるときがある。「初心忘れるべからず」とも云い,最初の目的を見直して行動を改めようとすることがある。

  原点回帰とは

言葉通りでは,原点に戻ることであり,初心に戻ることである。その意味合いはどこにあるのかと考えてみると,我々の行動そのものは,何も考えずに動いていることもあるが,大抵は何かの目的のために行動している。ところが,常にその目的を意識して行動しているかと云えば,必ずしもそうでないことが多い。つまり,廻りの環境変化やいろいろな人の意見を聞いたりしている間に,当初の狙いとは違った方向に進んでいることがある。

それは決して悪いことではなく,時流に合ったやり方に修正して行くことは必要なことである。ただ流されるままにしているようでは決して良い結果は得られない。流されるままにならない為には,先ず原点をしっかり見つめておくことが大切である。原点をいい加減にしておくと,自分の進んでいる方向が正しいのか否かさえ,あやふやになってしまう。

わざわざ原点に立ち戻る必要は無い。原点をしっかり見つめ直すことで十分である。そのことが自分の今置かれている立ち位置を明確にすることに繋がり,原点からゴールに向かっての位置が明確になることになる。

  その必要性

原点回帰が必要なのは,将来を考えるとき,スタート地点をしっかり見直すことで,方向性を明確にできることであり,スタート地点を曖昧にしてしまうと,自分の行動がチグハグになってしまっていてもなかなか気づけないことが多い。

仕事面でも,いつの間にか抜け出せない悪いループに陥ってしまっているケースがあるが,そうしたときに一番抜け出しやすいのは,原点に返ることであり,そこから見直しをしてみると,自分の陥っている罠が見えてくることがある。やはり重要なのは,原点とゴールをはっきりさせておくことであり,その道筋が多少紆余曲折があっても,この2点をはっきりさせておけば行く道筋は拓けてくるものである。

我々は何かをしようとするとき,必ず目的を明確にして,具体的な目標を定める。そして行動を起こす。このスタート時点の思いは,やり遂げてこそ喜びになる。つまり,行動している途中で,原点を振り返って所期の狙いを思い起こすことは,途中でのしがらみなどが一切無い状態での思いであり,純粋な狙いであり,成功を収めた人はこうした所期の狙いを大切に,確実にものにしていく人であり,誰しも,特に迷っている人には必要なことである。

  初心忘れるべからず

「常に志したときの意気込みと謙虚さを以て事に当たらねばならない」(広辞苑)とあり,上述した原点回帰と同様,初志を忘れてはならないと云う戒めの言葉である。私自身もこれまで,このように教わり,信じていたが,この諺の源を辿ると少し,意味合いが違うようである。

もともとこの言葉は,世阿弥が「花鏡」の最後に次のように書かれている。

「しかれば当流に万能の一句有り。初心忘るべからず。この句,三ヶ条の口伝あり。是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。この三,よく口伝すべし」

ここでは,「初心」とは「始めた頃の気持や志」ではなく,「芸の未熟さ」,つまり「初心者の頃のみっともなさ」を言っているとのことです。要は,初心者の未熟な状態に戻りたくないと思うことで,芸に精進できるのだと説いているのだそうです。

諺の源はそうかもしれないが,一般的に用いられ,広辞苑でも一般的に広まっている解釈であることから,あまり語源に固執しなくてもよいのではないかと思っている。つまり,「初志」を大切にしてゴールを目指す気持が人を大きく成長させることに繋がるのである。何か迷っているようなとき,或いは順風満帆なときでも,「初心」を大切にする心は重要なことではないだろうか。

 

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[Reported by H.Nishimura 2016.11.14]


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