■本質を究める 39  (No.430)

大河ドラマ「花燃ゆ」で松下村塾のことが放映されており,その中で吉田松陰が「貴方の志は何ですか?」と塾生に問う場面が何度かあった。人は何をするにも,志を以て行動することが如何に大切なことかを教えている。それを観ながら,志を持つことの大切さをしみじみと感じた次第である。

  志を持つこと

大河ドラマでは,幕末に於ける尊王攘夷などと国を憂う若者,幕末の志士たちが,日本のために命を投げ打ってでも成し遂げようとする強い意志を示す言葉として,「志」と云う表現が用いられている。既に,幕末の志士と云う表現からも,日本のためにと云う「志」を持った武士,若者と云った匂いが漂う。また,我々観ている側に,そのような高い志を持った人達と云う感慨を与えている。平和ボケした現代と違い,日本国の行く末が危ぶまれる時代背景にあって,血気盛んな若者の感情として,自分たちが何かを成し遂げなければならないとの思いだったのかも知れない。志を以て行動することが,高貴で且つ,勇猛果敢を体現する大きな手段だったのだろう。

昨今では,貴方の志は何ですか?と聞くような人は居ない。且つ,「志」を云々することも皆無に近い。死語ではないが,日常使う機会は殆ど無いと言って良い。よく似た意味では,目的や目標,即ち,貴方が到達したいところが何処なのか,或いは,貴方の夢は何か?と云ったことを尋ねたり,議論したりすることはある。しかし,現代用いている「目的」や「目標」,或いは「夢」と「志」とは明らかに違う。目指すものや方向は殆ど同じようなものであるが,「志」には強い正義感,使命感が滲み出ている感が強い。

そうしてよくよく考えてみると,現代でも「○○を志願する」とか,「志望校は○○」などと,自分の目指す目標を指すときには,「志」を使った表現をすることがある。ただ,そうした場合でも,志がこもっているかと云えば必ずしもそうではなく,日頃の慣用句ではないが,単なる言葉の表現でしかない。幕末の志士の「志」とは,全く似ても似つかぬものである。

「少年よ大志を抱け(Boys, be ambitious)」と云う言葉は,クラーク博士が札幌農学校で使った有名な言葉だが,昨今の若者にそうしたことを伝達していることも少ないように感じる。この言葉も発せられたのは明治初期であり,日本がこれからどのような国になって行こうかと云うときであり,若者が大いに希望を持って活躍できる時代だったようである。この言葉が今日まで語り継がれていることは,少年(青年)達を励ます言葉として,非常に感銘を与える言葉だったからであり,時代が変わっても活きた表現になっているからであろう。

ところで,現代に「志」が必要では無いのかと云えばそうではない。むしろ,現在のような平和な,それでいて混沌としているような時代こそ,大きな「志」を抱き,その実現を目指すような強い意志や行動力が求められているのではないか。ところが,なぜそうなったのかよく判らないが,若者に活力が見られないように感じてならない。それは私だけの感覚ではないだろう。どうも幸せな自分中心の小さな世界に留まり過ぎている感がしてならない。日本を世界の大国としてリーダシップが発揮できるような国にしたいなど,大きな志を持った若者が現れないだろうか?

  行動すること

「志」が似たような意味を持つ「夢」と大きく違うのは,単に抱くだけのものではなく,それに伴う行動力だろう。つまり,「志」や「夢」を持つことは重要なことではあるが,「志」にはそれをやり遂げようとする強い意志があり,行動力が伴うものである。この行動力が,現代の若者には不足しているのではなかろうか?決して称賛されるものではないが,嘗ての学生運動など,若者の漲る闘志が溢れていた。そうしたものが全く感じられないのが,現代の若者である。世の中を冷めた目で見ているのだろうか?

若者だけではない,現在の日本全体が小さく萎んでしまっている。確かに,一昔前の高度成長期のような活気は消えてしまっている。10%近い高度成長はもはや後進国でしか起こりえない。子供が大人に成長する時期のような伸び盛りの時期は豊かな国になる一歩手前の段階でしか起こりえない。そのようなときと,現代の日本社会とは,何がどのように違うのだろうか?がむしゃらに働くことが大きな成長を伴った時期と,どれだけ頑張っても成長が大きく望めない時期と,その違いは単に周囲の環境だけなのだろうか?

環境に左右されているようでは,本当の志では無いような気がする。強い「志」があれば,如何様な困難に遭遇しても,それを打ち破って前に進む行動力があるはずである。それが無く,安住の地に平々凡々としているだけではなかろうか?平々凡々とすることは決して悪いことではない。小さな幸せを満喫することもよかろう。しかし,人の一生は未来に向けての小さな歩みである。その歩みを「志」を持って進むか否かである。どんなことでも,自分が信じた志であれば,行動に結びつき,強い一歩になるはずである。

「為せばなる,為さねばならぬ何事も」と云う諺がある。強い意志を以て行動すれば成就すると云う意味である。これは当に「志」で以てその思いを成し遂げることであり,強い意志と行動力が大きな推進力となって成就することを示している。これは,やろうとしなかったら,いつまで経っても成功しない,つまり行動しないと何事も始まらない(進まない)ことを意味しており,行動力の重要さを示している。

しかし,実際の我々の生活を考えると,思い通りに行くことの方が少ないように感じる。つまり,なかなか行動に移せないところがある。先を案じて躊躇したり,思っていてもなかなか一歩が踏み出せなかったり,頭で考えるほど思い通りに行動が伴っていないことが多い。確かに,話し上手で口先だけの人も居る。頭でっかちで,議論は達者だが行動が伴っていない人も結構居る。そういった人に対して,「不言実行」,「有言実行」などと,口に出さずに行動に出る,或いは口に出して宣言して行動を起こすことを意味しているが,いずれも行動力を重んじている。最近の政治家に多い「有言不実行」とは対照的である。

目的や目標を掲げ,或いは自分の夢を持って活動することは,人間としても心を豊かにしてくれる。さらに,「大きな志」を持って,それを実現しようとする努力をしていれば,必ず成長させてくれる。

志を持とう!!それが成長への大きな足掛かりとなる

 

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[Reported by H.Nishimura 2015.06.22]


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