■マニュアルの重要性 2 (No.398)
マニュアルの必要性を感じたことがある話題を続けよう
ドキュメントの多さにびっくり
海外に展開している日本企業は多く,仕事上で海外と何らかのつながりを経験している技術者も多い。私の経験であるが,ユーザーに日本企業のみならず,外国企業も対象になることはあった。あるとき,初めて北米のGE社と仕事をすることになり,電子レンジの制御ボード,当時日本の湿度を検知する自動調理に関心があり,その制御ボードを納入することになったときの話である。30年以上も前の話である。
取引するに当たり,先方から納入する制御ボードの仕様書(Specification)が送られてきた。それは,日本で云う購入仕様書に当たるもので,仕様の詳細が書かれていた。日本では,仕様書はせいぜい多くても10数枚と云うものが殆どで,数十枚に及ぶものは珍しかったが,当時のGEから送られてきたものは,100枚以上の仕様書であった。(日本では仕様書は,納入仕様書として供給側が購入先へ提出する習慣があるが,グローバルには購入仕様書(購入先→供給先)が一般的である。)
よく見ると,もちろん制御ボードの仕様に関わる重要な部分の仕様はもちろんのこと,それらを構成する部品一点毎の仕様も詳細にきっちり書かれたものだった。日本での取引では,場合によって,構成部品の一覧表も仕様書の中に謳っているものもあったが,それでも一覧表で主要な特性が抜粋されている程度で,部品一点毎の仕様まで書かれたものはお目に掛かったことはなかった。汎用の抵抗やコンデンサに到るまで使っているものはすべて一点一点詳細な仕様が書かれていた。正直,何かムダなものが付いているような感じを受けたことを記憶している。
日本のメーカーを信頼していないからではなく商習慣の違いで,とにかく,ドキュメントで明確にしておくと云うのが外国企業のやり方と初めて経験したのだった。日本人同士では,同じ商習慣として,阿吽の呼吸のようなものが通じ合っていて,仕様書としてドキュメント化するにしても,省略してもお互いに齟齬が生じることはないからである。
しかし,彼らにとっては部品の仕様まで明確にするきまり,マニュアルがあって,技術者はそれに従って仕事をしているのだった。日本人にとっては一見分かり切った仕様であっても,グローバルな取引では商習慣の違い,仕事の仕方の違い,さらには人種の違いによる習慣の違いなど,様々な違いが存在し,日本人にとっては常識であることが,国が違えば必ずしも常識とは言えず,仕様書と云ったドキュメント化された書類によって,お互いの見解に齟齬が無いようにするもので,単純ではあるが非常に重要な役割を果たすものである。
職務分担の徹底
日本では技術者が,研究開発,設計から工場技術など幅広く経験することが一般的である。ところが,GE社と仕事をしてビックリさせられたのは,研究開発,設計,実験,工場技術と,職務分担が徹底していることである。開発商品を説明する場合でも,日本であれば相手の技術者(設計,実験など全般を担当)と話をすればよいが,GE社と実際に現地でやりとりすると,設計者とテクニシャン(実験など設計の補助者に相当)が一緒に打合せに参加し,細かい仕様など実験確認に必要なことにはテクニシャンが前面に出て対応する。
最初は,この人は何者?と感じたが,技術的な詳細事項は良く理解していて,納入するボードの確認は,設計者はもちろんであるが,肝心な点は,このテクニシャンがきっちり押さえているようだった。設計者は図面を引いたり,ドキュメント化することを中心に,テクニシャンと云われる人は,仕様に書かれた内容の確認実験を中心にと職務分担がきっちり分かれていた。つまり,こうした職務分担がある仕事の進め方であるが故に,ドキュメント化やマニュアル化が徹底していることをまざまざと感じたのだった。
日本国内だけで仕事をしているのでは,とても想像もできない一面であった。日本と米国とどちらのシステムが良いかは,一言では言い切れないが,複数の人間が関わって仕事をする場合,ドキュメント化しておくことが,互いの誤解を招くことなく,スムーズな運びとなることであり,日本の国内でも,そのような場面は結構多い。まして,長年の伝統を引き継ぐなど,世代を超えて引き継がれて行く場合には,見よう見まねでのドキュメント化できないものもあるが,ドキュメント化やマニュアル化がいつまでも正しく引き継がれる手段として重要な役割を果たすことは言うまでもない。
前に戻る 次へ
マニュアル化,ドキュメント化は伝承の必須手段
[Reported by H.Nishimura 2014.11.10]
Copyright (C)2014 Hitoshi Nishimura