■本質を究める 17 (No.321)

先人の知恵に学ぶことは大切なことである。

  読書から学ぶこと

いろいろな知識を本から学ぶ。小さい頃の教科書がその典型である。義務教育の小学6年,中学3年,人としての基本的なことを教科書を通じてじっくり学ぶことができる。

技術・工学系の学生は元々理数科が得意で,国語が苦手なことが多い。ご多分に漏れず私自身も学生時代,特に高校生までは読書は殆どしなかった。せいぜい,読書感想文の宿題があるときに,いやいや読んだ程度である。記憶では,高校二年生のときに夏目漱石の「こころ」を読んだくらいである。内面をえぐった文章に感心させられたと云った唯一の想い出である。

大学時代は時間に余裕ができたせいか,ボチボチ名作と云われる小説などを読み出したが,感銘を受けたものは殆ど無い。ただ,読書嫌いは徐々に解消して行った。以降,社会人になってからも,読書に没頭するようなことは殆ど無かったが,ベストセラーなど話題になる書籍は買って読むようになって行った。借りて読むのでは納得できず必ず購入して,気に入ったところなどは,マーカーして読み返すなど,徐々に読書量は人並みになって行った。

四十代後半からは,人並み以上に本を読む,特に小説ではなく,話題になっているビジネス本には必ず目を通すようになった。その頃からだろうか,いろいろな先人が持っている知識を書籍を通して理解し,会得することに興味が沸き,いろいろな書籍を読み漁った。経営戦略に関するものなど,その時代を反映した巨匠の論点を興味深く拝聴した。流石と思わせるものがそこにあった。それ以来,今なお毎月何冊かは読んでいる。

元々好きでは無かった読書が今では楽しみになっている。先人の知恵に学ぶ楽しみである。もっと若いときに読書が好きになっていたらもっと違った人生だったかも知れないとも思う。要は無知だったのだ。書籍を通じて知りうる様々なことをせずに過ごした日々を悔やんでいる。先人の知恵を知ったからどうこうなるわけではないが,何となく心にゆとりが生まれ,人生が豊かになる錯覚に陥る。

読書は人と人とを結びつける。同じ時代には存在し得なかった人からも大いに学ぶことができる。これは素晴らしいことである。各人の持つ知識の中で,基本的な部分は,学生時代や社会人としての生活の中で学んだものであるが,それらを膨らましている大半の知識は読書などを通じて会得したものである。頭の中の分布が判れば,多分半分以上の知識や知恵は読書から得たものではないだろうか。そしてその部分の知識を自分のものとして使っているのである。

  歴史に学ぶ

「愚者は経験に学び,賢者は歴史に学ぶ」(ドイツの初代宰相 ビスマルクの言葉)と云うことがよく言われる。凡人は自分の経験からしか学ぶことをしないが,賢人は自分の経験だけではなく,歴史で起こったことからも学び,自分の知識として蓄える。

また歴史は繰り返されると云われるように,我々が活動している中で経験することは,既に先人達が経験済みであることが多いのである。ただ,我々自身が知らないだけで,初めて経験するように感じているだけである。例えば,民族同士の争い,宗教上での争いが未だに絶えないが,古代ギリシャ・ローマ時代から,幾度となく繰り返されている悲劇である。

ここで云う歴史に学ぶ,と云う意味は,歴史学を学ぶとか日本の歴史認識を正しくするとか云った民族の歴史を学ぶことを指し示しているのではない。純粋に歴史学になると,過去の出来事なので諸説があり,どれが正しいのかもよく判らないことがある。つまり,見る側が変われば違って見えるので客観視した事実ではなく,主観的に見たものが歴史として伝えられている。この点を論じ始めると限りがないので,別のときに譲ろう。ここで歴史と言っているのは,自分の経験だけではなく,他人の経験も含めた幅広い経験のことを総称して歴史と言っているのである。

自分だけの経験は,ここで云う歴史から見れば,ごく限られた一部でしかない。自分自身が経験できて学ぶことなど極めて限られている。齢を経た経験豊かな人と雖も同様である。もちろん,自分自身が経験したことであれば印象深く,心の奥深くに刻まれた記憶となり,忘れることは無いだろう。しかし,それよりも幅広い多くの先人の知恵を学ぶことの意義は説明するまでも無いだろう。浅いかも知れないが,歴史に学ぶことによる多くの先人の知恵を利用する機会は数多くある。

先人の知恵から学ぶと云う意味で,自分ではなく過去に存在した人が経験し,教訓として会得したことを,あたかも自分が経験したことと同様に見なして,そこから学ぶことである。それをして,「歴史に学ぶ」,としたのである。

  先輩に教わる

技術開発をしていると,その手法については先輩達の築き上げた基準・マニュアルなどと云ったものが非常に役立つ。即ち,技術開発する手順を,効率よく,且つ品質・安全確保した製品に仕上げるノウハウが詰まっている。後輩は,こうした基準・マニュアルに沿って技術開発を進め,成果を上げる。ただ,基準やマニュアルと云った形式知化されたものだけでなく,暗黙知のノウハウは先輩達から教わることで学ぶ。つまり,人間が行うことがすべてドキュメント化できる訳ではない。基準やマニュアルの行間にあるノウハウは,読んだだけではなかなか伝わらない。もちろん,最低限のこと(最大公約数的な部分かも?)がドキュメント化されているので,それらがすべてではない。だから,仕事上で先輩から教わることは貴重なことなのである。

人から人への伝達は,双方向であることが大きなメリットである。ドキュメントだと,一方向の読み解くだけで,読む側の知識によっては大きく理解度が違ってくることがある。ところが,先輩から教わるように双方向のやり取りができると,判らない部分は素直に疑問として尋ねることができ,理解度は大いに深まる。或いは,先輩の方から理解度がどの程度かと,質問を投げかけられることで,その理解度が試され,ひいては理解度が深まることに繋がる。

読書や歴史から学ぶこととの最大の違いは双方向のやり取りができることである。先輩に教わる最大のメリットは,技術の伝承が生の声で聞けることである。基準・マニュアルなどのドキュメントによる技術の伝承は貴重なものであるが,それらを活きたものとして,活用する術を直接教わることができる最良の方法なのである。後輩に伝えたいと云う先輩の思いと,先輩から学びたいと云う後輩の思いが一致して,素晴らしい伝達が行われることになる。これを大いに活用しない手はない。

  大切なこと

先人の知恵に学ぶには,自分の考えや思いを先に出すことなく素直に学ぶことが重要である。昨今は,個性を尊重し,自分のキャラクタを前面に出すことが良しとされているが,先ずは先入観なく,白紙の状態で素直に学ぶことである。それは幾多の過程を経て,今日まで伝わって来ていると云うことは,選りすぐられたものであるからである。そうした折角のチャンスを活かすかどうかは,受けとめる側の姿勢一つに掛かっている。

そうした先人の知恵を十分吸収し,理解した上で,自分の考えを打ち出せば良い。必ずしも先人の知恵が優っているとは限らない。当然時代の変遷があり,古びてしまっている内容のものも出てくる。或いは,環境の変化により,古き良き知恵の上にさらに新たな知恵を加えた方が優っている場合も出てくる。知識の裾野を広くした上で,自分の個性を打ち出すことも構わない。

先人の知恵に学び,活かそう!!

 

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[Reported by H.Nishimura 2013.05.13]


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