■本質を究める 13 (No.304)
基礎知識を学ぶことは最低限必要である
基本の大切さ
先般,非常に優秀な技術を持つ職人から話を聞く機会があった(物づくりの真髄に触れる 講義)。できるだけ事前にインターネットなどで予備知識を持って講義に臨んだが,なかなかその真髄に触れるまでに到らないことが多かった。つまり,基本的なことが十分判っていないと,伝達する側は非常に貴重な話をされていても,受け手がその真髄の部分を十分受けとめられないことがよく判った。受け手側は自分では理解したつもりでも,上辺の言葉だけの理解しかできないことがある。これは誰しもが経験することである。すべてにおいて基礎的な知識を持ち合わせている人など誰一人いない。だから,貴重な話が聞ける機会があったときは,事前に当該の基礎的な知識を学んでおいて臨むことが必要なのである。
何事でもそうだが,物事の中心に触れようとすれば,自ずとその周りの部分から入ることになる。いきなり中心部分に入ろうとしてもなかなか中心に辿り着かないし,たとえ入ったとしても,何のことか理解ができないことが多い。だからこそ基礎的な部分の知識を先ず学んでおくことが必要なのである。一般的に,物事は基礎が肝心とも云われている。土台がしっかりしているから,その頂点に到達できるのである。
応用動作だけでは限界
何事も真似ることは容易である。見本があるからそれをそっくりその通りやれば良いから簡単である。しかし,それができたからと云って一から自分でできるとは限らない。要は,見かけの真似事は誰でもできるが,真にそのことができるようになった訳ではない。このように言うと当たり前のことだが,我々の周りでは,こうした真似事が結構多い。つまり,基本的なことを何一つ知らず,見よう見まねでことを済ましていることが結構多いのである。
How-toものが良く流行ったが,これもどのようにすれば良いか,その手順が示してある。だから,それに従ってそのままやればできるようになっている。そのこと自体は悪いことでも何でもなく,均一にできるなど都合の良いことの方が多い。だが,How-toだけを知ってやっていても,何故そうすることが必要なのか,或いは,何のためのそのようにするのかを知らないと,少しでも違ったことをするとなると,途端にできなくなってしまうことがある。マニュアルは非常に有効なのだが,その応用ができないことが多いのである。
技術でも基本的な成り立ちを知らず,使い方ばかりを扱っていると,技術としてあるレベルまではできるようになるが,ときには,とんでもない落とし穴が待っていることがある。使い方にどれだけ長けても,基礎的な知識を学ぼうとしないとあるところで頭打ちとなり,それ以上に伸びることができなくなってしまう。
優秀な技術も基礎ができていないと伝わらない
情報伝達そのものが,伝達によるロスが70%程度はあると一般的に言われる中,伝達したいと思われる内容の基礎的な知識が欠落していると,肝心な部分の伝達はかなりロスする,つまり十分伝わっていないことが起こるのである。これは一対多数でも,一対一でも同じ事である。伝える側も相手の知識がどの程度あるかどうかで,伝えたい内容がきっちり伝わるために工夫が必要である。
技術の伝承は容易なことではない。徒弟制度のように弟子入りして,生活を伴にして,そうした中で親方から技術を盗むように学び,伝承して行くやり方がある。つまり,単に技術を伝え聞くのではなく,基礎的な生活態度から体験的に学び,生き様を通して技術を伝授される方法である。形式知を座学で学ぶこととは違って時間は掛かるが,真から技術を伝承するとは,こういうことかも知れない。
技術とはブロックを下から順序よく積み上げて行くことに似ている。即ち,土台をしっかりしたものにしないと,優れた最先端の技術といえども,脆く崩れてしまうことがある。基礎の土台を積み上げることは地道な,時間の掛かる作業である。それがしっかりできていると,その上に立つ技術も確実に伝承することができ,更にはそれに新しい技術が創造される。技術の伝承とはそうした基礎をしっかりしたところに受け継がれる。
付け焼刃(やいば)でも一夜漬けでもよい
付け焼刃や一夜漬けは,本当の知識にはならないと云われている。しかし,ときには必要である。例えば,冒頭に挙げた優秀な技術者の真髄を聞く機会を得たとき,何も知らない白紙状態で聞くのと,付け焼刃ではあるが,事前にインターネットで調べて,僅かでも予備知識を持って聞くのでは,聴き方が随分違うはずである。予備知識を持って臨めば,話される内容の理解が進むし,その人の持つ背景やこれまでの経緯などを知っておくと,言葉一つにも重みが違って感じられる。そうした,聞こうとする姿勢そのものが,伝えたいことが判ることに通じるのである。
最近はインターネットで調べれば,大概のことは判るようになっている。非常に便利なもので何かと重宝している。付け焼刃のような知識でしかないと笑う人も居るかも知れないが,知識というもの自体,始めはごく幼稚な,基礎的なことから入り,それがだんだん深まって行くのであって,取っかかりは付け焼刃でも十分なのである。付け焼刃とバカにしていては,いつまで経っても中心的な部分,核心に迫ることはできないだろう。
基礎知識を疎かにしてはいけない!
予備知識を積極的に持つようにしよう!
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[Reported by H.Nishimura 2013.01.14]
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