■学習できない人々 (No.130)
人はいろいろな経験から学ぶ。また,愚者は経験から学び,賢者は歴史から学ぶとも云う。いずれにせよ,人は学んで成長する。ところが周りには,なかなか学習ができない人々がいる。
学習できない人々
世の中にはなかなか学ぼうとしない人がいる。頭が悪いのだと言ってしまえばそれまでであるが,なかなか学習ができない人々がいる。そうした人の意識や行動を見ていると,まず反省しようとする意識が弱い。つまり,自分で失敗したことでもすぐ忘れてしまって,同じような失敗を繰り返す。本人は決して失敗するつもりではやっていないのだが,無意識のうちにそうなってしまっているようである。
仕事においても同様のことが見られる。期限に遅れて失敗したので,今後は期限を守るとその場は約束する。ところが,次の機会にまた同じように期限切れを起こしてしまう。このような事態をよく見かける。本人の反省が足りないには違いないが,反省するだけで果たして再発防止になっているのだろうか?
反省の仕方が悪いのか?同じ過ちを繰り返すと云うことは反省ができていない,反省の仕方が不十分なのだろうか?そもそも失敗にはその原因があるはずである。その原因を取り除いてこそ,初めて同じ失敗を繰り返すことが除去される。ところが,本人はこんなことは繰り返したくない二度と同じことはしたくない,と意識し,その原因を突き止められたとしても,その原因を自分の力だけで取り除くことができたかどうかである。
そうして周辺を眺めて見ると,いろいろなタイプの人がいる。上司や周りの人がいくら注意喚起を促しても,自分のことは放っておいて欲しい,自分で考えるから,と云った自己中心的なタイプの人。このタイプの人は,そもそも他人から学ぼうとする意欲はそれほどない。流れにまかせたままである。周りが困っていても,素知らぬ顔でいることが多い。自らが変わろうとする気はさらさらない。時には子供じみた仕草をすることもある。仕事上でこうした人がいるとやりにくい。モチベーションが単に低いだけでは済まされない。こうしたケースでは,上司などが指示命令で仕事を与え,その報告を逐一させることで,ある程度型に嵌めて仕事をさせるしかない。
これとは全く逆に,学ぼうとする意欲は非常に高く,いろいろなことに好奇心を以て取り組もうとする人もいる。ところが,意欲とは全く逆に空回りして,同じ失敗を繰り返す。一生懸命やろうとすることがアダになっていることがある。つまり,一生懸命努力する内容そのものが間違っているのである。こうした人は思い込みを激しく,失敗した原因がこれだと判るとそのことだけが原因のように思ってしまう。そんな単純な失敗は算数で答えを間違えたときに有効なくらいで,社会現象においてはそんなケースは希である。だからちょっと違うだけのことに応用動作が効かない。一生懸命やろうろすればするほどムダなことが多い。このタイプは,やる気は十分あるので,上司がしっかりアドバイスを心掛け,その状況を見ながら修正を加えることでだんだん良くなっていくだろう。
また仕事内容とその人の持つ能力に大きなギャップがある場合もある。つまり,同じ過ちは繰り返さないと意識したところで,能力不足が失敗した原因だったとすると,それは原因が判ってもすぐに能力が付くわけではない。能力を付けるには時間が掛かる。その能力が付かないうちに,次の仕事がくれば同じことになってしまう。このように再発防止は繰り返すな,繰り返したくない,と意識しても繰り返されることが起こる。学習しようにも時間が必要なのである。持ち合わせる能力と仕事のギャップの大きさの判断である。これは本人にはなかなか判らない。この場合は,上司がしっかりそのギャップを見極めた上で,与える仕事内容を考慮すべきである。
*素直に学ぶ(No.116)の続きのような話になった
なかなか学習ができない人々が多い
[Reported by H.Nishimura 2009.08.10]
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