■素直に学ぶ心 (No.116)

若い人に限らず,上司や先輩の忠告になかなか耳を傾けない人がいる。本人は決して聞こうとしていない気持ちがあるわけではなく,一生懸命聞こうとはしているのだが,なかなか気持ちとは裏腹に聞けていない現実がそこにある。なぜなのだろうか?

  反省ができない

こういう人に限って,先ずは素直に反省ができていないことが多い。上司や先輩の忠告を,その言葉は理解できても,自分の行動につながらないのである。忠告に対して気持の中では,「拙かった,二度と同じことはやらないようにしよう」と思っている。ところが,いざ実際の局面になると,殆ど同じような失敗を繰り返している。

これは,本人は反省しているつもりでいるだけで,実際に反省はできていないのである。言われたことに対する反応はできても,時間が経ったり,局面が少し変わると応用動作が全くできないのである。これは,反省しているのでなく,現象に対する裏返しをしているだけで,そうなった本当の原因が判っていないので,全く同じ現象以外の事象が起きると,根本的な原因が再び頭を出してくるのである。なぜ,そのようなことをしてしまったのか,現象でなく原因が掴めていないのである。或いは,原因は判っても,それを対策する手立てが判らない,或いはできないので,似たような事象で再び同じ失敗を繰り返してしまっているのである。

  思い込みが強い

そうした事象が起こる要因の一つに,本人の思い込みが強い場合がある。上司や先輩に忠告されても,自分としてはこのように思っていると云った思い込みが強いと,忠告がなかなか本当の意味をなさないことになってしまう。自分勝手な解釈をしてしまっているのである。だから,本来忠告はそのポイントを突いたものであっても,本人がそのように理解できないようでは役に立たなくなってしまう。

また,ある程度経験を積んできた年配者になると,自分の経験が非常に大きく,自分の経験の中での判断になってしまう。いわゆる,フィルターが掛かった状態で,物事を見てしまうので,なかなか真の正しい姿が描けなくなってしまっている。同じ忠告でも素直に受け止めるのではなく,自分勝手な解釈で受け取ってしまうのである。実際に,経験を積んできた人ほど,こうしたことを直すことは難しい。

  あきらめが早すぎる

また,自分が拙かったことが判っても,自分の能力ではこれまでだ,と諦めの早い人がいる。こうなると,どんな有効な忠告をしても,自分としてはできないとか,経験が少ないから無理だとか,すぐあきらめることが先に立つ。これでは,折角の忠告も意味がなくなってしまう。失敗すると云うことはまだまだ経験が足りないのだから,一つずつ学ぼうとしなければならない。それなのに,無理だとか,できないとか云う言葉が出てくるようでは,反省するどころではない。

普通一般には,失敗をしながら学び,同じ失敗を繰り返さないように努力しながら,経験を積み,ベテランとなって行くのである。それなのに,ちょっとした失敗,或いは重要な失敗をすると,もうだめだと思いこむようでは成長は望めない。失敗から素直に学ぶことを心掛けなければいけない。

同じように,もう歳だと言い訳する人もいる。これも同じで,失敗から学ぶことは歳は全く関係ない。反省し,素直に学ぶ心があるか無いかの差であって,何歳であろうがそれは全く関係ないことである。あきらめが早すぎると同様,言い訳けしているだけに過ぎない。

  学ぼうとしない

要するに,反省ができない人は学ぼうとする心を持っていないのである。若いから年配者の教えを聞く,と云うのではなく,年配者でも若者から学ぶことはいっぱいある。上司だって,部下から学ぶことはいくらでもある。教師でも有能な人は生徒から学ぶ。つまり,素直に学ぼうという心の持ち主であれば,あらゆる人から学ぶことができ,いくつになっても自分の成長につなげることができるのである。

同じ失敗を繰り返す人,失敗するとすぐ言い訳をする人,すぐあきらめてしまう人,こうした人は素直に学ぶ心掛けがないのである。こうした人は,自分が成長する多くの機会を失っていることである。(学習できない人々 No.130

素直に学ぶ心を大切にしよう

 

[Reported by H.Nishimura 2009.05.04]


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