■抽出法3 素直に見る
素直に見ることは,言葉で言うほど簡単なことではない。
素直に見ることができていない事例
我々は見えている事象は真実を見ていると信じている場合が多い。ところが実際には,自分の見ている事象は,事実の極一部だったり,或いは自分の経験からくるフィルターを通してしか見ていないことが多いのである。絶対にこれは重要な課題だと思っても,他の人から一寸違った視線から見た場合にはそれほど重要ではないことを思い知らされた経験はないだろうか?当に,こうしたことは,自分の目線だけでしか物事を見ていない証拠でもある。
下図に示すのがその一例である。素直に見ることができないと,とんでもない誤りを犯す可能性が秘められている。このことを十分知っておくことが大切なのである。
- 一部分しか捉えていない : 小さな穴からは象の全体が判らない
- フィルターが掛かって見える : 色が掛かって見える
- 一方向からしか捕らえていない: 十円玉も真横から見ると長方形になる
- 偏見で見る : 服装だけで判断する
フィルターを掛けて見ない
我々はすべての物事を自分のフィルターを掛けて見ている。常日頃の行動なので,自分自身ではなかなか気づかない。他人と意見したりするコミュニケーションを取って,初めて気づかされることがある。いろいろなものの見方があるのは,十人十色といわれるように,当然のこととは知りながら,自分だけは色眼鏡でものを見ていないと信じている人が多い。
しかし残念ながら,誰しもフィルターを掛けずに見ていることは少ないのである。真実は一つで不変である。変わって見えるのは,各々が自分のフィルターを掛けて見るからである。しかも,見たものを真実と信じてしまう。このことを十分踏まえた上で,フィルターを掛けずに物事を見る訓練をしよう。そうすれば,自然と課題も見えてくる。その様を,下図,及びスライドショーでご覧頂きたい。
小さな穴(自分の経験則)だけで見ない
我々は大きく目を見開いて,物事を隈無く見ているつもりでいる。確かに,自分の眼で見える範囲のことは,注意深く見ていることもある。しかし,実際には我々は,自分がこれまで経験してきた範囲でしか物事を見ていない。つまり,物事を小さな穴からから見ていないことになる。しかし,本人はそうだとは気がつかない。それ以上,大きな穴から見ることを経験していないからである。
過去の経験,先入観,偏見などいろいろなものが素直に見ることを邪魔する。これは致し方ないことでもある。どんな人でも不可避なことである。
素直に見ると云うことは,そうした経験則に頼らないで物事を見ることである。下図に示したように,小さな穴から見ると,その向こうにあるものは黒い棒のようなものにしか見えない。どれだけ目を凝らして見ても,それ以上は判らない。しかし,その穴を大きくすれば,向こうにあるものの全体像が見えてくる。それが象であることを認識できる。下図はその模式図であるが,このようなことが現実に我々の目の前で起こっているのである。スライドショーも併せてご覧頂きたい。
注意してよく見る
我々は日常生活で,周辺にあるいろいろなものを認識しながら行動している。街へ出ればいろいろな看板を見かける。それらを一目見れば,どこの看板か直ぐ判る。初めて見るものは,注意深く眺め,記憶の中に留める。そうした記憶の中身を瞬間に取り出しながら,いろいろなものを判別している。
ところが,何でも判別できるほど,記憶が定かでないことに出くわす。特徴がある看板一つでも,いざそれを描いてみるとなると,途端に自信が無くなる。概観を捉えていても,詳細部分は描けないことが殆どである。人間の記憶力とは,その程度なのである。しかし,それで生活に支障を来すことはない。むしろ,その程度の曖昧な記憶だから,これだけ多くのことを記憶でき,判別できるのだとも云えよう。
この記憶のように,我々は物事を観察する場合でも,自分の都合の良いように見る。生活に支障の無い程度に判断して見る習慣が出来上がっている。課題を見つけるようなときにも,このような同じことが起こる。しかし,課題を見つけようとしているときに,このようなことでは困る。詳細な部分にも関心を持って,注意深く観察することが必要になってくる。
口で言うほど簡単なことではない。しかし,これも訓練すれば,自然と見るポイントが判ってくる。そのポイントを的確に把握できるようになれば,すべてを記憶できなくても,十分役目を果たす。的確に課題を抽出することが上手な人は,人並み以上の努力,訓練をしている。一つずつ,着実にやっていくことを心掛けよう。
物事を素直に見られるよう努力しよう!
[Reported by H.Nishimura 2013.02.15]
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