■年賀状 (No.600)

年賀状を3年ぶりに書いている。昨年,一昨年と喪中で年賀状を書いていなかったので,久し振りの作成である。だんだん差し出す人を絞って少なくしてきているが,親戚など欠かすことのできないところもあり,100枚弱になってしまう。

  筆で書く

最近はパソコンのソフトが充実していることもあり,大半がプリントアウトされたものである。パソコンを使いこなしているので,そうした方が効率が良いことは十分承知しているが,年1回のことであり,自筆,しかも筆を持って挨拶から,宛名書きまで行うことにしている。

流石,挨拶状は同じ内容なので,一度白紙に筆で書いて,それをスキャナーで取り込み,画像として裏面にその年の干支などと共に作り,これをハガキに複製している。最近はハガキもインクジェット用があって,これで印刷すると,一々書いたようなできあがりになり,満足できるものにできあがる。

宛名はパソコンで一度登録すれば,直ぐにプリントアウトできるのは判っているが,前の年の年賀状を見ながら,名前と宛先を筆で書き下ろす。年々,勢いが衰えた字にはなっていくが,パソコンの行書体など筆を使った印字よりも,やはり自筆の生きた文字の方が,数段暖かみがあり,自己満足ではあるが気に入っている。住所は簡単なところから,マンションの名前など複雑なものもあるが,小さく丁寧に書くように心掛けている。

実際,筆を持つ機会は年賀状以外には無い。つまり,年1回だけのことである。特別習字を習っていたとか云う経験は全くない。小中学校の書道の時間だけの経験である。文字を書くことは,人となりには上手く書く方だったので,いつしか筆を持つこともそれほど億劫ではなくなり,年賀状に関してはずっと筆で書き続けている。

  年賀状だけのやりとり

最近は,ラインを始めとするネットでのやりとりが普及し,友達同士年賀状ではなく,ラインやメールで挨拶を交換する人も居るが,親戚や古い友人にはやはり年賀状を出すことにしている。大半の人が年賀状だけのやりとりで終わっている。ご無沙汰しています,お変わりありませんかが常套句になってしまっている。

最近のキャッチコピーに年賀状,書くときが一番近い,と云うのを聞いたことがあるが,当にその通りで,前年の年賀状を見ながら,昔を思い起こして,身近に感じてコメントを書くことが殆どになっている。同じ印刷だけの文面では物足りないので,何らかのコメントを必ず書くようにしている。流石,これまでを筆で書くことにはしていない。もちろん,余裕が無いわけではないが,なかなかコメントの一つひとつまで筆で書くには到っていない。ボールペンで,感じていること,お世話になったお礼など,その人に向けたコメントにしている。

年賀状も年々減少しているようだが,郵便局員は熱心に,その時期になると勧誘に勤しんでいる。かんぽ生命など問題の多い郵政グループだが,寒い中,ノルマかもしれないが,道端でハガキを売っている姿は今年もまだ続いている。若い人にはだんだんネットなどの簡単で便利な方法に乗り換えられてしまっているのは致し方ないことである。

中には,年輩で年賀状を今年限りで止めたい,と書いてくる人も居る。確かに,よくよく考えれば,年賀状だけの便りも限度があり,書くことがだんだん億劫になってくれば当然のことである。3年ぶりに書いたので,今年は返ってくるのも少しは減っているだろうと想像しながら,投函した。郵便局の推奨の25日までに投函したのは,初めてのような気がする。

年賀状の挨拶だけの人も多い

  

 

[Reported by H.Nishimura 2019.12.23]


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