■中村哲医師の功績  (No.642)

中村哲医師がアフガニスタンで活動中,何者かによって襲撃に会い,尊い命を落とされたと云うニュースが流れた。中村医師の功績はマスコミでも絶賛されているが,こうした地道な肌感覚での活動に,亡くなってからではなく,もっと早くから光を当て,支援できなかったのだろうか?

  100の診療所より1本の用水路を

中村さんが所属されていた「ペシャワール会」によると,中村さんは医師として当初はハンセン病治療のため,パキスタンで医療活動を始め,1991年にはアフガニスタンで初めて診療所を開設されたそうである。しかし,2001年から始まったアメリカによるアフガニスタンでの軍事作戦などの影響で,現地での医療活動は大幅な縮小を余儀なくされたそうである。

さらに現地では,干ばつが拡がり水不足による栄養失調や感染症が急増し,医療活動だけでは限界を感じた中村医師は,医療活動を続けると共に並行して井戸を掘る活動を始め,2006年までに飲料水用の井戸を1600本と,灌漑用の井戸を13本掘ったそうである。さらには干ばつで被害を受けた農村の復興を目指して,2003年から用水路の建設も始められている。

これまでのこのような中村医師の活動では,福岡市の面積のほぼ半分に相当する16500ヘクタールで灌漑が行われ,65万人の生活が維持されていると云う。

  現場感覚の大切さ

我々はマスコミを通じてであるが,世界中で多くの子供達が貧困に晒されている映像をよく見る。そう云った子供達に支援するために,医療チームが入って無料診断など,ボランティア活動をされている姿を見掛ける。明らかに栄養失調と思われる子供達を見れば,医療活動によって命が救われるだろうと想像できる。

当然,極一部を切り取った映像なので,その実態を正しく把握することは困難であるが,先ずは最低限の医療を施すことが重要だろうと思われる。まして,世界には貧困に加えて,戦争状態の危険な地域も多い。赤十字など戦闘地域にも拘わらず,命の大切さを尊び医療を続けておられることも見聞きする。

今回,中村医師が活動された内容を拝見すると,命を尊び医療行為を支援するだけでは限界があることを早くから気づき,現地の生活に一番必要なものは何かを肌で感じられ,医師でありながら農業のことも学ばれ,井戸や用水路など生活の源となるものが充実しない限り,いくら医療を続けても根本的な解決にならないことを実感されている。

要は頭で考え,机上で思いつく最善策ではなく,現場感覚の対応策が非常に大切なことを教えられる。政府など,日本が発展途上国に対する援助として,支援金などの対応がなされるが,それらを決して否定するわけではないが,現場で一生懸命活動する人達に何が必要で,何をすべきか素直に問い掛け,それに応えることが重要なことではないだろうか。

今回の事件での政府などの対応は,政府の意向を無視した危険な地域での活動している一人の日本人としか受けとめられていないような気がする。アフガニスタンが大統領自ら感謝の意を表し,国葬に近い,しかも大統領自らが棺を担いで空港に見送る姿を見るにつけ,余りにもギャップの大きさに,何が違うのだろうと疑いを持つのは私だけだろうか?

安倍総理の外交が上手と云われているが,大きな流れでの行動はそれに値するかもしれないが,中村医師の活動は実践を伴った非常に素晴らしい外交ではなかろうか。当該国のアフガニスタンから感謝されるのは当然ではあるが,中村医師のこうした活動は世界中から賞讃されていると思われる。日本人としての誇りである。国内の些細な問題に終始するのではなく,こうした偉大な活動に,政府としてももっと賞讃しても良いのではなかろうか?

ほんとうにご苦労様でした

 

[Reported by H.Nishimura 2019.12.09]


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