■半世紀遅れの卒業式  (No.639)

大学を卒業して50年の節目を迎えた。先日,当時大学紛争の最中で,卒業式が中止となり,教授から手渡しで卒業証書を貰ったことを微かに記憶しているが,今回,世話役のご苦労があって改めて卒業式を催してくれるとの連絡があり参加した。

  半世紀遅れの卒業式

私が卒業したのは昭和44年(1969)である。工学部だけの単科大学特有の男ばかりの13学科で,卒業生が約600人(内女性は3名)だったそうであるが,その1/4に当たる約150人の参加があった。第5回のホームカミングデーに合わせて,卒業50周年記念式典が実施された。

我が電子工学科は40名の定員で,卒業したのは36名だった。今回,前日に同窓会を兼ねて一泊二日の計画を幹事役が設定してくれた。恩師が瑞宝中授章されたお祝いも兼ねて温泉で前泊し,翌日卒業式へ参加するプランだった。16名が参加し,懇親会では懐かしい想い出を夜遅くまで語り合った。前回,5年前に一度同窓会を開いたこともあって,50年振りの人は2人ほどだった。

大学は50年も経つとすっかり様変わりし,学んだ校舎も建て替えられ,また学科の名前も時代の流れで変遷してしまっていた。当時は4階建ての建物が多かったが,それよりも高い6階や8階建てのビル群が並んでいた。

卒業式は,現学長からのお祝いの言葉があり,皆さんは卒業後,激動の日本経済を力強く牽引し,物づくり大国を築いた立役者であり,これからも皆さんが築かれた未来へのレールを豊富な経験で支え,健やかに歩まれることを期待する,との励ましの言葉があった。続いて,当時のトピックス(入学の前の年が東京オリンピック,卒業した年がアポロの月面着陸,その翌年が大阪万博)を紹介され,当時を思い出させてくれた。その後,現学長から卒業生の代表者が記念証書(卒業証書は50年前に貰ったので)を授与され,我々は事前に幹事役から貰っていた。

式典が終わった後は懇親会があり,立食パーティ形式で和やかなひとときを過ごした。

  記憶を辿ってみて

卒業当時を振り返って見ると,なぜ卒業式ができなかったのか,詳しい経緯は定かでないが,大学紛争の最中,我が大学も一時封鎖された形になり,確か入門するのに,裏門の塀を乗り越えて入った記憶がある。通常の入門ルートが裏門だったので,そこからの出入りが殆どだった。また,学部が裏門の直ぐ近くに位置していた。

封鎖されたときは,全共闘の学生が研究室を破壊するのではないかとの情報があり,我々学生はヘルメットを配られ,夜通し見張り番をし,朝を迎えた記憶がある。その朝,学生会館(?)が乗っ取られたのを目の前にしたが,それほど激しい動きはなく,穏便に経過していた。しかし,翌日の新聞では,大学全体が乗っ取られたいへんな状況下にあるかの大袈裟な報道を目にし,マスコミの報道とは如何に誇張されるものかをまざまざと見せつけられ,失笑した記憶が残っている。

卒業式は中止となり,各々の研究室で教授から,卒業証書を授与され持ち帰ったことを微かに記憶している。もちろん,その後に卒業証明書が必要なときは,メールで申し込み郵送してもらっている。

半世紀遅れの卒業式は感動ものでした!!

 

[Reported by H.Nishimura 2019.10.28]


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