■技術の進化 6 ハードウェアからソフトウェアへ (No.620)
技術の進化がハードウェア中心からソフトウェア中心へと代わったのはかなり前のことである。
技術・技術者の変遷
我々団塊の世代では,技術者と云えば物を研究・開発する人を指し,目に見える物を扱うハードウェア技術だった。ソフトウェア技術も無いわけでは無かったが,コンピューターを扱う部門に限られており,プログラミング技術として扱われていた。大学でも,工学部の学科は,土木・建築・機械・化学・電気・電子などと云った学科で,一部には原子核・航空・繊維・窯業と云った特殊な学科もあった。その頃にも情報を扱う情報学科もでき始めていたが,殆どは電子工学科の中に組み込まれていた。
私自身は,電子工学科の卒業生なので,電気・電子・半導体・電気化学などと云った学問が中心で,ソフトウェアとしては,当時はIBM360と云った大型のコンピュータで,FORTRAN,COBOLなどは少し学んだことがある。つまり,技術開発する上で,解析などにコンピュータを利用するものとしての手段であった。この時代,工学部の技術者は全員,今のハードウェア技術者だった。
1969年企業に就職して,暫くしてコンピュータが身近な存在になり出し,これまでの大型コンピュータのCPUが,技術者が扱えるCPU,つまりマイコン(Micro Computer)が出現したのである。当初は4ビットのマイコンで,インテルとTIが作っていた。私が最初にマイコンを扱ったのはTI製のもので,電子レンジの湿度をコントロールすることで自動調理をするコントローラの開発だった。未だパソコンは無く,プログラムも紙テープのパンチ孔を利用したものを使っていた。これで開発したコントローラを米国のGE社へ納入した。
この頃になってソフトウェア技術が台頭し出した。だが,当時の開発を思い起こしてみると,ハードウェア技術の技術者ばかりで,ソフトウェアの部分は専門の外部業者に開発を依頼し,その評価をしながら,こちらの要望(仕様)を出すことで,所望の機能を実現させることだった。つまり物づくり専門の企業ではソフトウェア技術は,技術の一部であって,ソフトウェア技術を扱う専門の技術部門を作るまでには到っていなかった。
しかし,4ビットのマイコンから,8ビット,16ビットのマイコンへの移行スピードは早かった。つまり,複雑な機能を取り込むには,4ビットマイコンでは追いつかず,大きなものへと移って行くのは自然の成り立ちだった。ただ,そうかと云って4ビットマイコンが直ぐに無くなった訳ではなく,安価で使いやすいものとして,機能が限られたものへの応用はどんどん拡がって行き,車載に搭載されるものも出現してきた。
私の居た電子部品業界では,製品に搭載され組込システムとして用いられるソフトウェア技術はごく限られた範囲だったので,ソフトウェア技術はどちらかと云えば外部にアウトソーシングして利用し,内部は情報システム部門として,情報を扱うソフトウェア技術が中心であった。もちろん,その当時から,情報機器や家電製品を扱う技術部門では,ソフトウェア技術の台頭が著しく,ソフトウェア専門の技術部門ができて行き,技術者の中にもソフトウェアを専門とする技術者が増えてきた。
その一方で,パソコン(Personal Computer)の普及もどんどん進みだした。私が個人でパソコンを購入し,使い始めたのは1984年で,まだMS-DOSの時代だった。この頃には,技術者の中にはパソコンを自由に扱う人が増えだしてきた。1990年頃には,デスクトップタイプのパソコンに対して,小型の持ち歩き可能なノートパソコンが発売され,これを購入し,会社でもノートパソコンで議事録を書くなど利用し始めた。当時は会社では個人毎のパソコンは未だなく,共同利用であったので,個人のパソコンの持ち込み利用が認められていた。
MACに対抗したWindows3.1が1992年に売り出されると普及が進み,1995年のWindows95の発売で世界的にヒットし,一般への普及が加速した。インターネットが普及し出したのもWindows95の影響が大きい。インターネットを初めて使ったのもその頃で,こんな世界があるのだと感心はしたが,遊び程度にしかならない代物のように感じていた。自宅にもダイヤル回線を取り込み,会社のイントラネットではホームページを作りだしたのもこの頃からである。
IT時代
ITと云う言葉が出始めたのは,2000年問題の頃からだと云われているので,早や20年になろうとしている。当時ではインターネットは使われていたが,それほど一般的ではなく,利用はごく限られたものだった。しかし,一方で企業内での情報化はどんどん進み,業務処理にパソコンが無くては進まない時代になり,共同だったパソコンが,個人のデスクに設置されるようになって行った。
インターネットも見るものから,利用するものへと変わり,誰もがいつでも容易に繋がった完全なネット社会になってきている。世界中の情報が家の中で,ネットで見れば,自分の好きなものが自由に検索でき,利用できるようになった。非常に便利になった反面,GAFA(グーグル,アップル,フェイスブック,アマゾン)が世界の時価総額のランキングの上位を占めてしまっている。
つまり,未だ日本では自動車産業などの物づくりの大企業が上位にいるが,世界では完全にIT産業が上位を占めており,IT産業が花形で,技術者もソフトウェア技術が中心である。もちろん,そのことを否定するつもりは無いが,本当にソフトウェア技術だけで良いのだろうかと云う疑問は残る。人間社会がソフトウェアだけでは成り立つはずがない。そう考えるといつかその反動が来るのではないだろうか?
日本の物づくり
日本の物づくりも変化し,今やソフトウェア技術は不可欠なものになってきている。ただし,そうかと云ってハードウェア技術は今なお重要で,ハードウェアである物が無くては,ソフトウェア技術は成り立たない。人間の触れる物そのものはハードウェア技術から成り立っている。しかし,日本の物づくりは世界一と云われた時代からは,だんだん競争力の低下は避けられない状態になってきている。これの大きな要因は,デジタル化の波で,デジタル化が中心の世界では,どこでも誰でも容易に物が作れ,従来の複雑で精密な物づくりの必要性が少なくなってきているからである。
特に大量生産などで優位だった家電製品などは,低コストで物づくりができる新興国に押され,元気が無くなってきているのが現状である。その一方で,家電製品や情報機器の根幹となる優秀な電子部品は,まだまだ日本の物づくりの精度の良さに,日本製を使うところが多く,強さを維持し続けている。これはデジタル化のようなドキュメント化が難しく,感や経験に基づくノウハウが詰まっており,容易には模倣できないものだからである。
また,日本製品の伝統を活かした工芸品などの物づくりは,今なお世界で輝いている技術が含まれている。技術の伝承がなかなか思うように進まず,なり手が少なく,且つ業界として縮小傾向にある伝統製品も数多く見掛けるが,優れた技術は途切れるとなかなか復活は難しく,今のうちにきっちり伝承されるように願いたいものである。
日本の物づくりを研究されている藤本教授によれば,日本の物づくりの特長であるインテグラル(擦り合わせ)型の製品は,機能要素と構造要素が複雑に絡み合ったもので,自動車のような安全・安心・乗り心地・燃費と云った総合的な性能を求めるものでは,まだまだ日本製が優位に立っている。他方,モジュラー(組み合わせ)型と呼ばれる製品,パソコンなどで代表されるものは,同じ性能のものが容易に作り出され,日本の特長が活かせられないため,劣勢に立たされていると言われている。
ハードウェアからソフトウェアへの変遷を見てきたが,これからの未来社会は!!
[Reported by H.Nishimura 2019.03.11]
Copyright (C)2019 Hitoshi Nishimura