■技術者の眼 4 科学にはウソは無い (No.581)
昨今の話題は,ウソがまかり通っていることに対する大衆の批判の眼である。双方の言い分が違うので,事実は一つだが見方によって見解が変わることはあるが,どちらかが事実を曲げて説明しているとしか思えない。
アメリカンフットボールの話題
ルール違反をした悪質なタックルに対して,監督・コーチと選手の言い分が真っ向から対立している。素人が素直な眼で見れば,どちらが真実を語っているかは明らかである。しかし,監督やコーチの言い分は,選手に直接悪質なタックルをするようには指示していないので,選手の受け取り方とに乖離があったとのことである。
ケガをさせてこい,とは言っていない,選手を鼓舞するような表現を使ったのだ,との言い分には,問題が大きくなってしまったので,素直に謝るタイミングを逸してしまい,後から言い訳をしている態度にしか映らない。アメリカンフットボールを殆ど見たことはないが,闘志をむき出しにした激しいスポーツであることは理解できる。だから,ルール内で闘志を積極的に出した方が勝っていることはよく判る。その指導法が旧態依然である感じがしてならない。
昔は当たり前と思われたことが,昨今では通じないことはよくあることである。若い選手と年輩の監督やコーチとの間に乖離が生じることはあり得ることである。それらをお互いの信頼関係で解決して,チームが一丸となって戦うのがスポーツであり,選手を鍛えるやり方も随分変わってきている。乖離という言葉で片付けられているが,間違った受け止め方をされるような指導法そのものが間違っている。まして大学という教育現場では,学生が正しく理解できるようにするのが教育であって,乖離があるから責任は無いような表現は,教育者としては失格である。
報道されているように,真実をはぐらかし,ウソと思われることを平気で述べて回避しようとする態度は,如何ともしがたいものである。人間関係は科学のようにきっちり割り切れるものではないが,ウソがまかり通るような世界はあって欲しくない。
政治家の関与
全く次元も,内容も違うが,政治の世界でも,ウソがまかり通る現象が見られる。ウソを正当化するために,文書を改竄してまで守ろうとする態度は見苦しいとしか言いようがない。国会の答弁を何度聞いてもすっきりとしないのは当然である。こんな世の中に誰がしたのだと言いたい。
ウソで固められたことは,次第に辻褄が合わないことが出てきて,やがて真実が曝されることになる。それが判っていても,自分の於かれている立場の保身なのか,ウソの表現を強いられている官僚が気の毒である。そういうことに追い込んだのは,何といってもトップの責任であり,トップ自らが律しない限り,いつまでも続くだろう。早く目覚めて欲しいものである。
トップ自らが律することができないのは,多少曲がったことでも,権力を以て強引にやり遂げることができると思っているからに外ならない。つまり,大衆をバカにしているからである。裸の王様に近い状態にいることを判っていないのである。完全にウソとは云えなくとも,常識から外れたことを何とも思わない感覚が,総ての人格を物語っている。
ウソがまかり通る政治から,早く卒業して欲しいものである。
科学現象にウソは無い
上述のことは,いずれも人間関係の中で起こっていることで,理論的には成り立たないことでも,人間の感情で許される部分があるからではなかろうか。自然科学の見地では,できないことは誰がどんな手段や感情を以てしてもできず,できることは,例えそれが偶然の賜物であっても,後から実証することが可能である。
事実が総てであって,ウソが入る余地が無い。もちろん,「スッタプ細胞」のような事件があったことは事実だが,科学は白黒の判定が明確である。人間界のような複雑さは無い。だから,科学者や技術者は事実の解明をすることに必死であり,ウソを付くようなことができないことを良く理解している。往々にして科学者や技術者が真面目なのは,仕事柄からかもしれない。
自然科学界は清廉潔白そのものである。ウソやごまかしがまかり通ることはあり得ない。曖昧模糊とした現象はよくあることであるが,それらを科学的に解明して行くのが科学者である。人間界の権力者のような人が入り込む余地が無い。人間生活を豊かにする新製品は,こうした科学者や地道な技術者の努力から生まれるものであり,その恩恵を多くの人が享受している。
ウソがまかり通る世の中に誰がしたのか!!
[Reported by H.Nishimura 2018.05.28]
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