■大企業の品質問題 3 (No.564)
品質問題の続き
日本の品質神話の崩壊
一連の品質問題は,いろいろな問題点を抱えている。昔の日本は良かったのに,と云う嘆きでは済まされない。前述したように昔とは世界のグローバル化が進み,世の中の環境も大きく変わったし,企業風土も以前とは比較できないほど変わってきているようである。今回のようなことが続いて起こると,日本の品質が悪くなったと捉えられても仕方がないほど重大なことである。
ある人は,日本の品質神話の崩壊と云った表現で論評されている記事もある。確かに,高度成長時代からの日本の品質は高いものがあり,それを信頼して貰って日本製品が海外に伸びて行ったものだった。それを当に裏切る行為であり,弁明のしようはない。評論家が如何に表現しようと,それを一々気にするよりも,現場で素直に何が問題だったのか,当事者が真剣に反省することがどれほど重要なことであるはずである。
世の中の変化に追随して,これまでの日本の品質は過剰品質だったから,世界標準に合わせて適宜対応することが必要だと云う人もいる。コスト競争の激化に応じて,品質も適当に(いいかげんと云うことではない)手抜きをして,顧客が満足する品質で十分だと云う意見である。確かに的は得ているが,それを的確に理解できる現場の人がどれだけ居るのだろうか?品質を厳しくするのは大変だが,低くするのは容易である。今回の一連の騒動を見ていると,コスト優先で品質軽視,現場で品質軽視をしたつもりは全く無くとも,品質に対する厳しさが大きく欠落していたことは明らかである。
嘗て現場に居た技術者として,顧客からの相当厳しい品質要求にも応えてきた。もちろん,そこまで過剰品質にしなくてもと感じたことも一度では無い。しかし,当初は過剰品質と思って対応してきたことが,鍛えられ磨かれて一段高い品質確保が実現し,それが売り物になる歓びも感じたものだった。過剰品質と云う人は,意外と現場を知らない人が多い。過剰とは顧客が感じることで,顧客が当然と感じればそれは過剰では無い。
当時,家電製品と比較して,日本の自動車の品質は厳しかった。もちろん,一つ間違えば生死に関わることもあり,当然のことである。部品にも厳しい品質要求があり,総てではなく部品によって重要品質の程度は分類されていたが,この品質に耐え,満足できる部品を供給することで,他の業界からは高品質の部品が供給して貰えるとお墨付きを貰ったものである。
品質確保をする上で一番大切なことは,品質に対する地道な活動である。QCサークルや,品質七つ道具を使った活動などは最近では見掛けないそうである。もちろん,時代が変わっているので昔のQCサークルを復活せよとは言わないが,品質の基本の見直しは現場で徹底的にやって貰いたいものである。現場の一人ひとりの品質意識が,製品の品質に影響していることは言うまでもない。今一度,現場レベルでの品質の底上げをやって欲しいものである。
企業のガバナンス
昔は全く品質問題が無かった訳ではない。問題の発覚から,世間に拡散するスピードが全く違ってきている。内部で十分対応できたことが,対応が緩慢で拡散して大きくなりすぎてしまっているケースもあるように思う。今では上から問題の握りつぶしのようなことはできないようになってきている。むしろ,見て見ぬ振りをして問題を見過ごしてしまっているケースもある。
品質に対する門番は品質部門だが,そこだけで十分だとは云えない。もちろん,品質に対する権限は一番あるが,品質の作り込みは現場である。今回の一連の問題が現場で誰も疑問を抱かなかったと云うことはあり得ない。疑問視した人が訴えたが斥けられたか,或いは感じただけで行動できなかったか,事実は判らないが,大問題になる前に,十分対処できたものもあるように感じられてならない。
悪意は無くとも,一人の見過ごしがやがて大きな品質問題にまで発展することはよくあることである。ガバナンスというと,上からの統制を思い起こす人も多いだろうが,それよりも現場の全員が品質に敏感になり,風通しよい職場で,一人の見過ごしを,現場のみんなで支え合う風土が一番求められているのではないだろうか?これが実現しない限り,問題解決には到らないのではなかろうか。
良い品質は現場での作り込み
[Reported by H.Nishimura 2018.01.29]
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