■実家後始末の顛末記 (No.562)
以前にも述べたが,昨年末から実家を売却するための後始末をしている。私の知っている限りでも,祖母のもの,両親の残した物など,置く場所が広く,土蔵(倉)や物置小屋,更に9部屋もある田舎の大きな一軒家といろいろなものが保存されており,不要なものが殆どにも拘わらず大事に置いてあり,延べ27人日も掛かった後始末に苦労した顛末記を述べてみる。
江戸末期から明治時代初期のもの
後始末をしようと大事に残っている品物には,祖母(明治15年生まれ)の代からの物から,両親の使っていた物が殆どであったが,屋敷が広く保管場所に事欠くことは無かったせいか,私が初めて見るような物も多かった。特に,土蔵(倉)の中には,江戸時代からの着物などがタンスの中にしまわれており,紋の入った裃や死に装束と思われる白い着物などが出てきた。
古い着物にも関心が深い古美術商でも,買い手がつかないと思われる男物の着物には目もくれない有様で,古着のゴミとして廃棄するしか方法は無かった。土蔵の中の着物や古い男物の服だけでも,大きなゴミ袋が数個にもなった。
また,土蔵の中には食器戸棚があり,昔は何かと行事があれば自宅で料理を振る舞う習慣から,お膳,茶碗類などが,20人分揃って保管されていた。私の微かな記憶では,こうしたものを使って料理を振る舞ったのは,祖母のお葬式の後の近所の人への振る舞いのときくらいしかない。これらも古美術商に見てもらったが,値段のつくものは無く,特に足のついたお膳は,今では全く利用価値が無いとのことで,これらも廃棄処分となった。食器棚の中には,大皿などもあり,それらの良さそうなものには少し関心を示されたが,殆どの物は鑑定外で,鉄瓶などが無いかと探されていたが,かろうじて1個出てきた程度であった。
土蔵(倉)の中の品物
土蔵の中にはいろいろなお宝物が残っているとの噂を聞くが,残念ながらお宝物は全く出てこず,要らないものばかりが大量に出てきた。もちろん,土蔵の中にはどんなものが残っているか,大凡は判っていたので,宝物が出現する期待はしていなかった。
長持の中には,祖母の代の布団などが残っており,今の軽い布団とは何倍も重たい布団が幾重ねも出てきた。なぜこんなものが残っているのかと嘆きたくなるが,昔の人は物を大事に扱い,何かのときに役立つからと残し,物を廃棄することは勿体ないことをすると嫌ったものだった。もちろん,保管場所がなかったら素早く処分されているべき不要なものである。
食器棚以外には,引き出物など貰った品物(食器,ナベ,飾り物など)が全く手つかずの状態で保管されており,これらも弟と妹にも使いたいものがあればと見せたが,殆どが不要なものと判断された。ご近所の人にも,紹介して引き取って貰おうとしたが,どの家もこうした物が一杯残っているようで,殆ど引き取り手が無かった。唯一,お袋の使っていた多くの花器(花を生ける器)は,お花を習っていた先生が喜んで利用すると車に一杯積んで持ち帰って戴いた。それと,20個以上も揃っていた湯飲み茶碗やお盆は,近くの集会所で利用すると,当番に当たっていた役員の人が持ち帰られた。
行政を利用した廃棄方法
大量の布団については廃棄業者も処分を嫌がり,行政で布団を処理してくれることを知り,町役場へ申請して,乗用車で処理場へ運び込んだ。土蔵の中の布団,両親の代のときの布団,我々と弟妹の家族が実家に戻ったときに利用した布団など,家中の布団と毛布を合わせると100枚弱にも及び,少しでも運びやすく嵩を小さくするため圧縮して,数週間(週に1日且つ1回に捨てる枚数制限があり)に亘って,数回処理場へ運ぶ方法を取った。
また,ベッド,マッサージ器やソファーなど,これらも廃棄業者としては手間の掛かるもので,行政が粗大ゴミとして,自宅へ回収しにきてくれる方法があり,これらを利用する方法を取り,廃棄業者の廃棄量を減らす努力をした。もちろん,定期的に行われている,燃えるゴミ,燃えないゴミを分別して指定の袋に入れて指定場所に出すことはもちろん,指定の籠に入れて決められた指定日に回収(ガレキ,ガラスなど)なども大いに利用させてもらった。
住んでおれば,徐々に廃棄量を減らすことはできたが,誰も住んでいない状況で,こうした廃棄処分をすることはたいへんなことだった。もちろん,お隣が何かとお世話になっている良い方で,廃棄処理の助言や提出のご協力などを受けることになり,大変感謝している。
環境問題があり廃棄処理が高額
昨今は環境問題があり,廃棄する物の処理が昔のように簡単にはできなくなってきており,そのため廃棄のために要する費用が高くなってきているとのことである。一番身近な例は,実家では昔は紙くずなど裏の畑で燃やしても誰も苦情を云う人は居なかった。ところが昨今はこうした行為が規制され,実家の裏の広い田んぼの中で僅かな紙を燃やしても通報する人が居て,行政が飛んできて指導を行うと云う有様である。
とにかく,昔とちがって,先ずは廃棄物の区分が厳密になり,それも行政によって定義が違っていることが多く,その土地での廃棄処分の方法に従わなくてはならない。当然,廃棄業者は産業廃棄物としての扱いで,家庭ゴミとは違った廃棄額が設定されており,我々素人にはよく判らないほどの高額だそうである。もちろん,我々個人で総て廃棄処理ができるわけではないので,専門業者に頼らざるを得ないのだが,これが目を疑うような価格なのである。
特に実家のある滋賀県では琵琶湖があり,環境規制も特に厳しく,県内では廃棄できず,他県の廃棄処理場に頼っている部分もあるやに聞く。もちろん,人体に被害を及ぼす環境問題を起こすようなことがあってはならないが,何か余りにも規制規制と言い過ぎではないかとも感じてしまうのは私だけだろうか?安心で快適に暮らせるバランスが採れる点がないだろうか?
論理的な話が通じない世界
今回一番頭を悩ましたのは,廃棄処理をする業者とのやりとりで,一般常識と思われる論理的な話がなかなか通じないことだった。知人の紹介だったので信用はしていたが,見積が結構高額だったので,最終価格を見積額より抑えたいと考え自分たちでできることは,行政の廃棄手段を大いに活用し,業者が廃棄される量を減らしたつもりだったが,結果的には最終価格としては自分たちの努力は全く報いられなかった。
見積段階で予測の廃棄量が出ていたので,少しでも減らして見積価格より下げて貰おうといろいろ努力をしたのだが,我々素人には正確な廃棄量の把握は困難であった。当初は,コンテナを利用して,そのコンテナの数量で廃棄量が判る予定だったが,コンテナを利用するのが困難で,2トントラックに直接積み込んで,各々の廃棄内容物によって廃棄処理場へ運ばれる方法が取られた。安くする方法だと理解したが,そもそも誤りだったようである。
こうなると廃棄量がカウントできず,運び出しが何回かは判っても,廃棄量そのものが判らず,相手を信用して任せるしか方法がなかった。もちろん,廃棄物による廃棄量,その回数を出して貰って確認することは可能だったが,例えそうして詳細を出して貰っても,こちらでそれを正確に検証する手段がなく,そうした一見正確そうな結果の数字を出されても,結果的にはその数字を信用するしかできないので,諦めざるを得なかった。実際,廃棄処理の実態を具に見ていたが,私たちが思っていた以上の廃棄量が出てきたことも事実だった。
丼勘定と云うと言い方は悪いが,私が経験してきた仕事の世界とは全く異なった世界だと感じられてならなかった。要は,論理的で数値化された勘定が成り立つ世界と,論理的な表現をした勘定をするのが困難な世界(敢えてできないことは無いが,素人には正確な判断できない)との違いをまざまざと見せつけられた。もちろん,とんでもない価格をふっかけて来られても,そのやり方が永続的に認められる保証はなく,余程あくどい業者の場合を除いてそうしたことは無いと思われるが,素人にはすんなり理解ができないものだった。
後で聞いた話では,こうした仕事は合い見積を取って,比較検討しないととんでもないケースも出てくるとのことであった。知人の紹介など,信用がおけるところに依頼するのが良いが,そうした今回のケースを通じてでも,私たち素人にはなかなか素直に納得できないことがあったのである。廃棄処理される業者が総てだとは思わないが,期待を裏切られる後味の悪い結果となったのである。
初めて経験することばかりの後始末であった
何はともかく,後始末が無事終わってホッとしているところである
[Reported by H.Nishimura 2018.01.15]
Copyright (C)2017 Hitoshi Nishimura