■技術者の理想と現実 1  (No.551)

自分の学んできた技術を活かして世の中に貢献したいと思っている工学部の学生は多い筈である。良いところへ就職するために,工学部を選んだと云う学生も居る。しかし,社会はそんな思いとは違って,なかなか厳しいのが現実である。

  工学部の学生

学生時代のことを思い起こしてみる。今と昔は環境が随分違っているので,そのまま置き換えることは出来ない部分も多いが,共通点も多いはずである。

理数系が得意だと云うだけで,何となく工学部を選んだ学生もおれば,就職先が安定しているとして選んだ学生もいる。ただし,以前のように技術者はひっぱりだこで,就職は安泰していると云う時代では無くなってきている。しかし,何か技術を身に付けていることは,就職に関しては優位に働く可能性が高い。就職だけでなく,社会人として生きていくためには,必要なことである。

自分の専門が社会人となって,直ぐ直接活かせて仕事ができる機会は希である。つまり,4年間や6年間程度の大学での勉強は,社会人となって学んで行くことと比較すれば,微々たるものであり,且つ,大学で学んだことと実際の仕事との結びつきに期待すること自体,中てにしない方がましである。学生時代は勉強のやり方や文献の調べ方,関連するどんなものがあるかなど,知識を身に付ける方法を学ぶ場でしかない,と云うと少し言い過ぎかもしれないが,それの方が近いと云える。

だが,就職するとなると選んだ学科の専攻で就職先が決まってくる。もちろん,専門以外の道へ進む者が中にはいるが,それはごく希で会社側も専門性を期待して採用する。その専門性の深さや知識を期待しているのではなく,むしろその専門性の基礎部分ができているなど,今後の伸びしろに期待しているのである。

  社会人としての仕事

社会人として先ず学ぶことは,どのような段取りで仕事を進めて行くかであり,先輩諸氏の仕事を見ながら学ぶことである。中には,学生時代に学んできた専門技術を活かして頑張るのだと張り切っている人も居るが,それができるようになる機会はまだまだ先のことで,先ずは先輩諸氏から与えられた仕事を着実に遂行することである。

学生時代と一番違うことは,一人単独で行うよりも,組織の一員として与えられた仕事を着実に行い,組織としての仕事ができる一員として認められることであり,いくら優れた専門技術を有していても,組織の仕事と直接関係無い技術であれば,持っていない人と何ら変わらないのである。それよりも,如何に組織に貢献できるかを考え行動することの方が余程重要なのである。

仕事の内容や,段取りは,2,3カ月もすれば誰でも十二分に修得でき,組織の一員として仕事を任せられるようになる。見習いのような期間はそう長くはなく,技術者としての扱いがなされる。殆どの技術者が少なからず感じることであるが,自分の描いていた職場と違ったと感じ,理想と現実のギャップに戸惑う期間でもある。昔の人の教訓には「石の上にも三年」と,我慢して耐えることを良しとしていたが,この,2,3カ月から半年の間に,大きな痛手を負い,いきなり転職を考える者も出てくる。

確かに,自分の仕事に合っているか否かは,それぞれ個人の問題であるが,合わないから簡単に違う職業を選ぶ,と云うのは些か早計である。嫌で嫌でたまらないことをいつまでも続けることは良くないが,単に合いそうにないと云ったことであれば,もう少し堪え忍んでから決断しても遅くはない。ただ,合わないから止める,と云うことをすると,いつまで経っても自分に合ったものが見つからず,転々と職を変えると云ったことを繰り返す人もいるので要注意である。

少し昔の私の経験からは,良いときと何をしても上手く行かないときは,ある程度繰り返されるのであり,上手く行かないときを如何に短い期間で済ませることができるか,が一つのポイントで,その乗り越え方を身に付ければ,多少の困難は乗り越えられたものである。つまり,我々の進む中では,必ずと云って良いが,理想とするところと現実のギャップに遭遇することがしばしば起こる。

高い理想を掲げて居れば居るだけ,現実とのギャップが大きい。また,しばしば自分の予想していなかったことが起こり,途方に暮れることさえ起こってくる。本当に現実から逃避したい思いに駆られることさえ起こる。自分独りではどうしようもない谷底に落ち込んだときでも,組織の仲間と一緒に仕事をすることで,仲間が良いきっかけを与えてくれたことも何度となくある。そうして経験を積むことで,やり甲斐を見出して行くものである。

理想と現実に悩まされる技術者

 

[Reported by H.Nishimura 2017.10.23]


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