■集中力を高める 6  (No.534)

集中力を高めることと「やる気」が出ることとは大いに関係がある。つまり,やる気が無ければ,集中力は高まることは無い。

  「やる気」の根源

その一つは,達成感である。人は目標を定め,それに到達,クリアできたときは喜びを感じる。その喜びの経験は貴重なもので,また体験したいと願う。つまり,何か目標を定めて行動するときは,少なからず「やる気」のスイッチが入った状態になり,何としても達成させたい思いが強くなることが多い。だから,大きな目標を達成させるには,小さな目標を幾つか作り,それを一つずつクリアして,小さな達成感を積み重ねて行くことが重要であると言われている。

次は,認められることである。人は集団で構成された中で生きている。そこで,自分の立場や行動を他の人から認めて欲しいと密かに思っている。所謂,承認欲求で,誰もが少なからず持っているものである。そのためには,何らかの言動で示すことが必要であり,いろいろなことを考えたり,挑戦してみたりと自分の持てる能力を発揮してみようと試みる。この行動の裏にある気持が「やる気」である。

この典型的なものが,昇格・昇任である。組織人として仕事をしていると,人はその地位で評価されることが多い。つまり,地位が高くなることは,自分の言動を認められた証しであり,それを目指して日夜努力する。そこには,自然と湧き出る力があり,これが「やる気」でもある。それが強い人は出世も早い。ただ,それに集中するあまり,人を蹴落として邁進する姿は,あまり褒められたものではない。

次は,褒められることである。認められることと似てはいるが,似て異なるものである。端的な例が,恋人に褒められたいと努力する若者は多い。社会的な地位を認められることとは違って,ほんの些細なことでも,恋人に褒められれば,感極まる歓びになるのは,人の持つ貴重な感情である。純粋な気持があればあるほど,意外な力が湧き出してくるものである。当に,「やる気」以外の何者でもない。

責任感も「やる気」の根源になる。人は責任を果たそうとするとき,使命感に燃える。自分が誰かの為に為すべきことに力を発揮することはよくあることである。特に,責任感の強い人は自分の役割を良く理解し,為すべきことを確実に実行でき,その結果,信頼も厚く,人望がある。こうした人は,常に平常心を保ち冷静に判断しているが,心の中は「やる気」に満ちている。そうでなければ,それだけの人望は集まらない。

まだまだあると思われるが,いずれも自分の強い意志がその背景にある。この強い意志が,「やる気」を引き出している。

  「やる気」と集中力

上述したように,やる気の根源となることを行動で示すとき,人は能力以上のような力を発揮することがある。「やる気」が漲っているからこそ,物事に集中でき,望む結果が導かれるのである。このように「やる気」と集中力は密接に関連している。見方を変えれば,「やる気」が無ければ,集中力も発揮できないとも云える。つまり,集中力を発揮しようと思えば,「やる気」は欠かすことのできないものと云える。

ただし,「やる気」満々でも集中力が発揮できないことはあり得る。「やる気」の空回りで,達成を願う気持だけが強くて,実際の行動力が伴わない状態である。集中力は,心の中の思いだけでは成し遂げられず,普段の努力や訓練が不可欠で,単なる心の問題だけでは無いのである。もちろん,集中できる強い心も不可欠だが,強い心だけでは空回りするだけである。

実力はあるのに普段の力が発揮できないことはよくあることである。これは普段の努力や訓練は十分積んでいるのに,いざと言うときに実力が発揮できないのであり,我々が日常目にするところである。「やる気」が欠けているからだけでは無い。気持は高ぶっていても,物事に集中する精神力が弱いのである。精神力と云うと一言で終わってしまうが,やはり実力がそれほど無いことの証しである。

集中力が発揮でき,成功を収めている人は,普段の努力や訓練を惜しまず,その上でいざというときにも精神的な安定感を持ち続け,物事の一点に「やる気」を上手く引き込み,実力を遺憾なく発揮できている人である。そうなるためにも,先ずはコツコツ地道に実力を付けることから始めなければならない。集中力は,実力が無くては如何なる人でも発揮することはできないのである。

普段の実力があってこそ集中力が活かされる

 

[Reported by H.Nishimura 2017.06.26]


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