■家電メーカーの凋落  (No.519)

高度成長時代を担った家電メーカの凋落をみるに,平家物語の冒頭の文が想い出される。

  平家物語の冒頭

祇園精舎の鐘の声,諸行無情の響きあり。沙羅双樹の花の色,盛者必衰の理をあらわす。奢れる人久しからず,ただ春の夜のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ,ひとえに風の前の塵に同じ。

高校時代,初めて古文を習ったときの,一番最初に出会った文章である。平家の栄枯盛衰を描いた物語であるが,冒頭の一節は,現代にも通じる,且つ人々の心に留めておくべきものであり,今でも鮮明に想い出される。

歴史で習ったように,一時代を築きあげた立志伝中の人でも,時代の流れと共に,いつまでも営々と栄えていることは難しいことを物語っており,企業でも一世代を勝ち馬にのって隆々と繁栄していても,やがては衰退することがある。それが,今,家電メーカを襲っていると云える。

  時代の流れに依るものか

確かに,高度成長時代のように作れば作るだけ売れる時代は終わり,顧客に認められた流行に乗った商品だけが売れる時代に変わっている。何が流行るかは,なかなか先が読めないのが現状である。一生懸命頑張れば報われるとは限らない。しかし,凋落している家電メーカを見てみると,もちろん時代の流れもあるが,これまでの大きな流れにあぐらをかき,先行きの見通しの甘かった経営陣の責任は大きいように感じる。決して技術力が劣っていたのが要因とは思えない。

凋落の要因は,私がここで詳しく述べるまでもなく,各社により事情は違っている。S社では,余りにも技術に自信があり,過信が生まれ,それにより過剰な投資などがあり,また見方を変えて逆に,必要なタイミングで十分な投資ができなかったとの見解もある。どちらにせよ,先行きを見誤ったことが大きく,幹部に正しく判断できる機能,組織力も無かったことで,一気に凋落してしまったと云える。

また,T社では,自社のコアコンピタンスである以外の分野への進出が大きな要因のようであるが,これもリーダ不在かのような内向きの論理でのやり方が,ガバナンスを大きく狂わせてしまっている。単なる時代の流れと云うよりも,なるべくしてなったと云う感が強い。日本の家電,と云うより重電メーカであるが,こんな事態は高度成長期には想像もできなかった。

  技術者は何をすればよいか?

こんな事態に対しては,技術者は何もできない,と云えばそれまでだが,新しいものを創造し,市場を活性化させ,企業に活力を産み出す源泉はやはり技術力である。技術を過信しすぎてもいけないが,技術を磨き,それを世の中に貢献させることができるのは技術者しかいない。トップの判断力に影響は少ないとはいえ,地道な技術力が下支えすることには違いない。

技術者は新しい技術開発に専念することが使命だが,それだけでは十分とは云えない。技術の深掘りと同時に,広い視野で市場を見ることも大切なことである。どれだけ素晴らしい技術を駆使したとしても,市場の顧客が認めてくれなければ,宝の持ち腐れになってしまう。つまり,顧客が求めているもの,直接求めるものだけでなく,潜在的に欲しいと思っているものを知ることが重要である。

市場のことは営業やマーケティング部門に任せれば十分だと云う意見もあるが,少なくとも自分でリサーチすることは無くとも,マーケティングに関心を持っていることは大切なことである。ニーズは市場にある。それと自分たちが持っている技術シーズを上手くマッチングさせることで良い商品が創出される。これができるのが技術者自身である。

会社の凋落を嘆く前に,技術者としてやるべきことをしっかりさせ,会社の如何なる事態にも対応できる技術者でいて欲しい。昨今の状況を他山の石として,技術を磨き,社会に貢献できることを成し遂げて欲しいものである。

栄枯盛衰は繰り返される

[Reported by H.Nishimura 2017.03.13]


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