■科学技術の発達について  (No.513)

今朝の新聞で,気になる記事を見つけたので紹介する。それは,科学技術の発達に対する警鐘とされる記事である。

  新聞の要旨−−−時代の風より(2017.1.29 総合研究大学院大教授・長谷川眞理子  毎日新聞から抜粋)

科学技術の発達は,人の快適や便利さを追求するが,良い面と悪い面がある。例えば,携帯電話の電波が心臓ペースメーカーの害になることが指摘されているが,今更,電車内での使用禁止ができす,優先座席付近での使用禁止のアナウンスの対応しかできていない。この例は,科学技術文明が内包する大きな問題を象徴している。

自動車でも速く楽に走れる手段を求めたが,やがてエネルギー問題が出てくると,燃費を良くする開発が行われ,二酸化炭素排出の問題では「エコ」な車が開発される。車社会になった以上後戻りはできない。つまり,初めから一つの機能のためではなく,そういう技術開発をしたら起こり得る大きな問題や影響について,広く考えている人は,実はいない。

かつてのノーベル賞受賞者で,科学についての一般向け書物をいくつも残した免疫学者のピーター・メダワーは,「自然科学とは,解けるものを解くわざである」と言っている。これはその通りで,自然科学は問題を定義し,探索の領域を限定し,解けるように分解する。大きな問題にそのままとりかかるのではなく,その問題を構成している小さな問題を取り出し,それぞれを解決していくので,還元的手法と呼ばれる。

この手法は必然的に自然科学分野の細分化をもたらす。自然現象は奥が深いので,細分化してもまだまだ解決しない。気がつけば,深くて細い坑道の底に入り込んでおり,全体など誰も見通せない状況に陥っている。そこで,誰かが全体を見なければいけないと言い始めるのだが,それは容易には実現しない。

技術の開発もまた,似たような限界を持っている。それは,一つの領域の要求の充足に絞って開発を進めることだ。便利にどこでも話ができるようにしたい,どこにでも速く楽に移動したいなどといった欲求が満たせることを目指す。技術開発は,一つ一つの限定的な機能に関する要求の実現に特化しており,それが実現するまで,内部から止めるすべはない。

人の知能の進化は,どこかの時点で,抽象的な概念を創出し,概念を操作しながら,因果関係を推論することができるようになった。人の知能は動物の限界を突破したが,現代の世界に蓄積された膨大な知識を総合し,様々な可能性を中立的に見晴らすなどと云うことは不可能である。科学や技術開発の内部から,その自省をすることは不可能なのか。科学技術をコントロールするとはどういうことか,科学技術の倫理的・社会的側面も考えようと云うだけのことでは無いようなきがする。

と結ばれている。

  開発技術者として

作者が云わんとされる主旨は良く理解でき,元開発技術者として考えさせられるものである。実際,現場の技術者に求めるのは無理難題であることも理解されての主張である。

実際,いろいろな製品に使われる部品開発者としての意見を云うならば,そもそも技術者になった経緯は,もともと理工系が得意で,その力を発揮できるよう就職をした。その初心は,「広く世界の文化発展に貢献できる仕事をしたい」と云う,純真な気持ちだった。もちろん,大きな組織の中では,自分の思い通りにならないこともあったが,多くがカスタムメイドの部品であったためどんな商品に使われ,顧客に喜んでもらえるものかまでを確かめることはできた。

もちろん,作者の言われるように,後々の社会にどんな悪影響があるかまでは想定できなかった。だが,会社の方針でもあったが,武器や戦争に加担する製品開発は禁止されていたし,品質の良い安全な製品を開発することには人一倍努力した。自動車メーカーとの付き合いも多く,殆どの自動車メーカに行き,共同開発的な仕事も幾つかしたが,車には事故が付きもので,安全には民生部品に比較にならない安全性を要求され,それに応えた開発を行ってきた。

もちろん,新しいものを開発するので,失敗は付きもので,車に実装された後,回収に走り回った苦い経験もある。だからと云って,失敗を畏れて開発を中断してしまったら,快適さや安全さを求める顧客に十分対応することはできなかったし,文化の発展に寄与する使命も果たせなかっただろう。

人類の発展の歴史は,時代認識と共に変化してきており,それを予測することは不可能である。また,変化を畏れて何もしなければ,今日のような文化発展は著しく遅れていただろう。一般に,開発には1,2年,製品開発となれば,3,4年先を予測して開発に取りかかる。だから,先を読んでいない訳ではないが,その影響がどれだけあるかを,総て把握することは不可能である。だから,作者の云われるように,科学とは問題を定義し,探索し解けるように分解する還元的手法であろう。

このやり方が間違っているとは思わないし,改める必要は無い。ただ,技術者として,何らかのリスクを察知したとき,それを議論の俎上に上げ,十分技術者同士で議論すべきである。決して,上司に任せるのではなく,自分たちで解決策を見出し,或いは解決策が見つからないときは,次の開発テーマに上げるなど方策はある。

大きな社会問題は,突然降りかかってくることがある。そうしたときにも,他人事にせず,技術者として冷静に,今何ができるかを考え,より良い解決策を見出し続けることではなかろうか。それが,技術開発の歴史でもある。

科学技術の発達について,問題を投げかけられた

 

[Reported by H.Nishimura 2017.01.30]


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