■職場の問題点とその解決策 8 レポートのまとめ方 (No.476)
レポートを書く機会はいろいろな場面である。しかし,レポートを上手く纏めるかどうかで仕事の内容が大きく変わる。上手く纏める人はそのコツを心得ている。
レポートを書く目的をしっかり伝達すること
レポートを纏める場合,その目的はいろいろある。自分の行った実績を上司や仲間に報告する場合,明確にしなければならないのは,報告の目的とその結果である。これが明確に,相手に伝わらないことには,報告書を書いた意義がなくなる。言いたい詳細な内容も重要なのだが,言いたい主旨が伝わることが先ず前提にあって,それから詳細な報告が充実していることである。
ところが,よく見て欲しいと云う思いが強いと,やったこと総てを書き,一生懸命努力したことを伝えたいあまり,詳細な内容に走りすぎ,結論がぼやけてしまっている報告書をよく見る。努力の過程は重要なことであるが,報告書に書くには長々と努力の過程を書き綴っても読み手は結論が知りたいのであって,簡潔明瞭な報告書の方が的確に伝わる。
また,目的を明確にしていない報告書は,そもそも何が言いたいのかよく判らないケースも間々ある。報告書を書く以上,相手があって報告する目的が必ずある。これをきっちり押さえることが,先ずは良い報告書の前提である。目的が明確になっておれば,内容において事実と意見とをきっちり区分しておくことが肝要である。事実から結論を導き出し,自分の意見は,考察としてしっかり見解を述べるようにしよう。
問題の多い報告書の例
@全体が捉えられていない
若いときは与えられた仕事に対して,そのことを中心に,成果を報告することで十分なのだが,主任クラス以上の中堅になってくると,やったことの実績を報告するだけでは不十分なことがある。それは,やった仕事は全体の部分的なことであって,全体から見ての考察が無いと,全体像が見えないことがある。もちろん,総ての場合ではないが,中堅になれば,もう一段上の立場での見地から,やった仕事を考察して報告できるくらいの技量が必要とされる。
要は仕事は部分的なことを積み重ねるだけでは,肝心な部分を見落としている危険性がある。全体からの自分の役割を十分理解し,全体を捉えた上で,自分の仕事を遂行することを考えていないと,いつまでも担当者の仕事しかできなくなってしまう。だから,報告書を纏める前に,先ず全体としてはどうなのかを熟慮した上で,自分の実績を報告することを心掛けるとよい。
上司は常に一段上から物事を見ている。したがって,少なくとも同じとは言えなくとも,一段上の立場でどう考えるかを考慮することが,相手に的確に伝えることができる報告書に纏め上げられる。
A現象の裏返しの指摘しかできていない
仕事にはいろいろな問題点がつきまとう。それらを上手く処理しながら目標に到達することを目指している。したがって,問題点や課題が出てくるのは日常茶飯事のことである。
ところが問題点や課題を抽出するまでは何とかできたとしても,その解決策が不十分な報告書が見当たる。つまり,問題点を的確に指摘しているにも拘わらず,その解決策として検討していることが,単に現象の裏返しに過ぎないケースをよく見掛ける。起こった事象はあくまでも現象であって,それを裏返したような対策では決して根本的な対策になっていないことが多いのである。つまりよく云われるように,一つの現象に対する原因は,深いところにあることが多い。
もぐら叩きのような対策ではいつまで経っても,根本対策にならず,再発が生じてしまう。このことは,報告書などで纏めて報告する場合にも同じことが云える。現象に対する根本原因を突き止めているか否かである。もちろん,現象の裏返しは論外である。広範囲に浅く,且つポイントを押さえて深く掘り下げ,本質を的確に捉えた十分納得できるものに仕上げなければならない。
こうしたきっちりした報告書が書けるには,一朝一夕でできることではない。上司やベテランにいろいろ指導を受けながら,どのようにすれば満足が行く報告書になるか,自分でよく考えることが必要である。上手な人の報告書を真似ているだけでは,なかなか上手くならない。それよりも,自分で考え,良く見直し,上司などからのアドバイスを自分のものにするなど,自分流の味のある報告書を書くように努めるべきである。
B論理説得力のある報告書になっていない
報告書は,目的と結果だと言ったが,目的と結果をきちんと書いていても,中身の論理が合っていなければ,報告書としての価値がなくなる。つまり,相手に報告すると云うことは,積み上げて報告する実績が,論理的な矛盾点があってはならない。一番多いのは,論理が飛躍しているケースである。流石に論理的に矛盾していることを堂々と報告することは少ない。
Aの結果とBの結果と併せて,Xの結論を導き出そうとしているが,AとBだけではXに到達しないケースである。もう一段,Cの結果が伴ってこそXの結論が導きだされることを省略しているのである。或いは,そうとも気づかず自分だけが納得してしまっている場合がある。論理矛盾を気がつく人は多いが,論理飛躍を見過ごすケースは多いので注意したい。
また,現象だけを羅列しているだけで,結論を導き出そうとしているケースもある。現象を幾ら羅列しても,論理的な結びつきが無い状態で,結論を導き出そうとしてもムリである。演繹的なものでも,帰納的なものでも,どちらであっても相手が納得できる論理性が必要である。
C指摘ポイントが判りづらい
品質部門などでは,技術の成果を評価する報告書を作成することがあり,そうした場合,問題点や課題点を指摘するケースが多い。ところが,この指摘するポイントを的確に明解に示していない報告書もよく見掛ける。一番多いのは,自分自身がやっていないので,何となく感じたことをそのまま纏めているような報告書で,何をどのように指摘しようとしているのか,判りにくい報告書である。
指摘している本人が十分自信を持っていないケースも多い。つまり,自信が無いので,それとなく指摘しておいて,技術者自身で見つけ出して欲しいような依存型の報告書である。しかし,こうした報告書は無責任であり,書いた本人はもちろんのこと,その上司が指導して直させる必要がある。
技術と違って,品質部門では技術に長けていない人が担当しているケースもあり,こうしたことは間々起こり得る。もちろん,技術を総て把握していなくとも,論理が不十分だったり,原因追及が不十分だったり,総合的な観点から指摘できることは幾らでもある。技量が勝っている必要は無い。ただ,技量でなく,報告書として纏めることにも不十分な人が担当するケースも多く,組織として意義のある報告書が作られなければならない。
たかが報告書,されど報告書,きっちり書けるようにしよう!!
[Reported by H.Nishimura 2016.05.09]
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