■2016年の新年を迎えて (No.458)
新しい年を迎え気分を一新し,日本の将来を考えると云うと少し大袈裟だが,何となく物足りなさを感じる今日にあって,明るい元気のある日本を取り戻す為にはどうすれば良いかを考えてみたい。
安倍政権の行方
日本の将来を考える上で,やはり最初に来るのは日本全体を動かしている政治について触れなくてはならない。このコーナーでも何度か紹介してきたが,今の安倍政権のやり方には,日本の行く末を考える上で,大いなる不安を抱かざるを得ない面が幾つかあり,異論を持っている。アベノミクスと称して,政策を実行してきているが,名前ばかりが先行して実質的な成果は得られていないことは国民の誰しもが実感として味わっている。第一弾も成就しないまま,第二弾に移っており,何をしようとしているのかキャッチフレーズだけが躍っていて,国民が納得し,賛同できる政策になっていない。参謀が不十分なのか,裸の王様になっているきらい(疑わしい傾向)がある。
そもそもは自民党の中に,対抗勢力が無く,意見を戦わすだけの人材が不足しており,更には昨今の野党の腰砕けにはうんざりする。やはり政治は,一党独裁は良くない。橋下元大阪市長のやり方には抵抗があるが,よほどこちらの方が国民目線で政策を実行してきていると云えよう。決断力もあり,実行力もあり,やることがスピーディであり,この点は評価したい。とにかく,改革ができない政治家は無用の長物と言っては失礼かもしれないが,昨今はそう感じてならない。
補正予算などをみても,やり方が姑息で,選挙目当ての施策としか映らない。政治家として国民から信頼を得,選挙で多くの支持を勝ち取ることは非常に大切なことは分かるが,人気取りのようなバラマキが果たして将来の日本を良くするとは決して思えない,それも弱者の若者を支援するのなら未だしも,年金者向けである。何を考えているんだ,と言いたい。そうした人気取りよりも,政治家自らが改革を推し進め,国民目線で信頼を得るような実行力を発揮し,流石大物政治家と言われて,多くの国民の支持をとり得ることこそ,目指す姿ではなかろうか。
安倍政権が長続きすることによって,日本の将来に益々暗雲が立ち込め,取り返しのつかない状態に陥ってしまうことだけは回避したいものである。そのように危惧しているのは私一人ではあるまい。是非,今年こそは,日本の将来を付託できる元気ある政治家の出現を待ちたいと願う。
成長が見られない経済
21世紀に入り15年が過ぎ,20世紀に見られたような経済成長は望めないのは明らかである。中国経済の成長が鈍化し出しているのは当然で,この傾向は必然の成り行きである。日本の経済が中国経済に左右されることは致し方ないことではあるが,いつまでも中国経済の成長を期待していてはいけない。大きく成長が見込まれない中にあって,日本らしさが見られるような経済活動でありたい。それは,日本固有の優れた技術力を活かしたものではなかろうか?
技術者として,顧客志向を外しては仕事が成立しないが,顧客にすり寄っただけの顧客依存的なやり方では将来の見込みが薄い。確かに中国市場は大きく,成長が鈍化しているとはいえ,まだまだ魅力が残っている市場であるには違いない。だが,日本の技術力を磨く市場ではない。技術的に安易な中国市場に傾くのではなく,日本や欧米の顧客の需要を創出するような商品開発を目指すべきである。口で言うのは容易いが,顧客の目が肥えた今日にあっては,現実問題なかなか大変なのである。しかし,技術者としては,あくまでも高い付加価値の追求に全力を注がねばならない。
つまり,新しい付加価値を生み出すことは,技術者としての使命であり,技術者が付加価値の追求を止めたら衰退の一途になってしまう。大きな成長が見込めないことが明らかな今日ではあるが,大ヒット商品の開発でなくとも,確実に顧客が感動し,購買意欲を駆り立てられるような地道な商品開発はまだまだ残っており,小さな付加価値を積み重ねることが必要なのである。小さな一歩の努力を積み重ねる重要さを改めて認識すべきである。こうした時代だからこそ,技術者が益々頑張らねばならないのではなかろうか?
エネルギー問題
原子力発電の再稼働が話題になっているが,自然エネルギーの活用などがなかなか思い通りに進んでいない。核燃料の再利用の難しさなど,原子力発電が安全且つ安定に利用できるには,幾つかの問題が残っている。電力会社や地元住民の再稼働への期待は強いものがあり,安全を確保した再稼働はやむを得ない事情は理解できるものの,これまでの教訓では,この程度は妥協しても良いのでは,との安易な妥協がズルズル大きな問題を引き起こしていることを素直に反省すべきである。原子力発電に関しては,将来を見据えて冷静に判断すべきときがきている。
賛成,反対の単純な図式ではなく,十分な話し合いが行われ,ある程度納得が行くような将来像を共有しての期限付きの再稼働に止めるべきではなかろうか?一頃のように,電力供給の逼迫した状況では無くなってきている。実情がよく判らないのだが,電力会社のオーバーな宣伝だったのか,住民の省エネ意識が徹底したからなのか,騒がしく無くなってきている。一人ひとりの小さな省エネ努力で,問題が解決できてきているのではないのか。
ここでも技術者の活躍の場は開かれている。省エネの技術開発は益々必要なものであり,今後欠かすことができない技術開発であることには違いない。省エネに関する日本の技術は世界に先んじており,技術力が認められる世界がここにある。技術者が誇りを持って仕事に挑むことは素晴らしいことであり,幾多の技術が日本の技術力を底上げしているのである。
私自身の課題
この歳になると,やはり健康第一である。昨年は幸いにも,大きな病気もせず,一年間を通して健康が維持できた。頭の方は,切れが無くなり,物忘れもだんだん増してきているのが判る。しかし,それだからこそ,益々頭を使い,考え,意見を述べることは重要なことなのである。また,体力そのものの衰えに対しても,テニスを続けるなど体力維持に励んでおり,これらは怠ることなく,今年一年も続けたいと考えている。
その一方で,趣味は多く,年々その深度が深くなってきており,大きな生き甲斐になってきている。これは,健康維持にも大いに役立っており,何かに夢中になる時間が持てることは幸せである。趣味は極めれば極めるだけ,深みに嵌って行く。お金と体力が必要だが,それほど大金を使うわけでもなく,病院通いで医療費を払っているよりは随分ましな話である。未だ,時間を持て余すと云うことは少ない。今年一年もこのような状態を続けたいと願っている。
また,このエッセイも,今年で満10年,500回に到達する予定である。なかなか新鮮な話題が欠乏しつつあるが,話題の趣を少しずつ変えつつ,技術者の目から眺めた感想を綴って行きたいと思っている。
おわりに
感じていることを書き出して,改めて昨年の年初はどうだったのかと改めて読み返すと,今年の感じていることと殆ど変わっていないことに,改めて驚かされた。自分自身が成長していない証しではあるが,だんだん年老いて行くと変化が少なくなっていくことをしみじみと感じさせられた。改めて書き直す元気もなく,同じ事の繰り返しだが,これが現在の偽らざる現状なのである。
今年一年も健康で,好きなことができる日々を送りたい
[Reported by H.Nishimura 2016.01.04]
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