■安保法案の強行採決  (No.443)

参議院で安全保障法案が強行採決された。この一部始終をテレビなどの報道を通じて感じたのは,民主主義とは何か,国会の議論は果たして本質を突いた議論になっているのか,そして民衆の怒りの行方はどうなるのか,などであった。既に,安全保障法案の行方(No.436)で述べていることでもあるが,再度考察してみよう。

  強行採決の顛末

参議院特別委員会の強行採決の様子がテレビで報道されており,それらをライブで暫く観ていた。そもそも今回の安全保障法案の議論は,野党の追求に政府与党の回答がころころ変わり,終始一貫していないところに一因を発している。その背景は,当法案を姑息な手段で押し通そうとしていることにあり,首相を始め防衛大臣が言を発する度にボロが目立って行っている。

そうした現実にあって,議論が十分尽くされていないとする野党に分があることは明白である。ただ,政府与党にとっては非常に重要な法案で今国会で成立させなければならない緊迫した事情があり,対立が激化してしまっている。連休を挟み民衆のデモが激化することを畏れ,参議院で強行に採決してしまったのは,民主主義の多数決に則ったやり方ではあるが,明らかに民意を無視した強行採決そのものである。

このやり方を観て,多くの国民は本質的な中身の議論で反対するまでに,無理やりにでも強行突破をしようとする自民党の進め方事態に憤りを覚えている人が多い。テレビ・新聞などの報道などで,強行採決の顛末について詳しく報道されているので敢えて詳しく述べるまでもないが,やがて答えは出されるだろう。本来の民主主義はどこへ行ってしまったのかと嘆くのは私一人ではない。

  安全保障と憲法論

日本にとって安全保障の問題が国際情勢の変化により重要性を増して来ていることは事実であり,日本を安心・安全な国として国民が過ごせるようにするために,国としてやるべきことが変化していることには異論は少ない。従来のままでは危険にさらされてしまうリスクが高くなってきている。そのため,自民党は古き憲法を見直そうとしてきていた。特に,安倍首相はこの思いが強かった。

しかし,憲法改正となると多数与党といえども,両院議員の2/3以上の賛成と国民投票の過半数の賛成が必要とされる日本国憲法96条をクリアすることは至難の業であり,国民に理解を得るにはまだまだ時間を要することになる。一方,アメリカからは日本の自衛隊活動の範囲を拡げ,日米安全保障条約をより強固なものにしたい意向から,安倍総理が渡米した際,集団的自衛権を認めるようにする約束をしてきている。

これまで日本は専守防衛で,日本国民の安全が損なわれる事態に及んだときは,自衛隊が進んで守る働きをすることになっており,これは個別的自衛権として,憲法でも保証されている。これは憲法13条で「全ての国民は個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」とあり,これは憲法9条の第1項「国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する」,第2項の「前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。」とあるが,自衛隊は認められている。これは,第9条第1項が「パリ不戦条約」の明文化から,「他者の侵略や侵害から自分の身を守るために自衛権の行使を認める」として,憲法上の解釈で認められているからである。

今回の法律が,集団的自衛権として,憲法上の解釈としては違憲であると多くの学者が述べており,それをねじ曲げて違憲ではなく,集団的自衛権の必要性から,解釈上も違憲ではないと主張しており,国会議論の中でも,安全保障の対応の必要性と,憲法に対する合憲か,違憲かが混乱されて論議されており,国民には一層判りにくくなっており,戦争には反対とする多くの国民が「戦争法案」として反対するのは当然である。政府与党の説明も,「戦争法案」では無いことを主張しつつも,具体例が個別的自衛権の及ぶ範囲であったり,事例を取り下げるなど説明の不備,曖昧な答弁と一貫性のない主張とお粗末極まりない。

多くの国民は,集団的自衛権の一部の行使は必要性を感じている。したがって,安全保障の論点から,どこまでやる必要があり,その範囲に限って認めるかどうか,など国民に分かり易く議論が展開されていたならば,このような混乱は生じなかったであろうし,その集団的自衛権の行使には憲法改正が必要とあれば,改正に向けた国民の理解も進んだはずである。それなのに,無理やりにねじ曲げた解釈,そして強行採決には,野党が主張するように,憲法を蔑ろにし,民主主義を破壊した騒動にうんざりした国民が多いことだろう。

多数決の論理で民主主義は貫いている。反対するなら議員を選んだ時点,国民の唯一の国政参加の選挙で民意は示されていると云った報道もあるが,前回の選挙の争点が集団的自衛権ではなかったはずである。自民党の戦略が上手かったのだと云えばそれまでであるが,姑息な手段での今回のようなやり方は,いずれ国民は黙っておらず,おおきなしっぺ返しが待っているような気がする。

  民主主義と衆愚政治

国民の意見が十分反映されていないことは事実であるが,国民の意見に従って国政を行うことは必ずしも国民を幸せにするとは限らない。むしろ,国民の意見に従って,国が滅びてしまった例は歴史上でもあり,衆愚政治と云われている。つまり,十分な情報と正しい判断ができていない状態の国民の世論は,誤った方向に導くリスクを孕んでいる。極端な人は,民主主義になればなるほど,衆愚政治に近づくとも云う。

安倍首相が,いずれ国民の理解も進むだろうと述べていることは,こうした意味も含んでいるのでは無いかと想像する。安全保障の詳細な部分まで国民の理解ができている訳ではないことは事実であり,「戦争法案」のように決めつけられたら,国民が反対するのは当然であり,そうした民意を慮って高飛車的な発言のようにも取れる。

確かにその一面は否定しがたいが,従来のテレビや新聞などマスコミ報道で知るしかなかった時代から大きく変わり,いろいろな情報が国民の中に拡がっており,民意は間違っていると決めつける訳には行かなくなってきている。国会前を始めとしたデモも,全くの自主参加であれだけの拡がりになっている。無関心な人も多く,デモ参加者が民意の代表者では無いことは事実であるが,今回の一連の騒動は,安倍首相の思い上がり,と云うと失礼だが,余りにもお粗末なやり方に終始しており,ますます総理としての器を疑いたくなる。

  民衆の怒りの行方

当分は民衆の怒りは納まらないだろう。政府は念願の安保法案が成立したので,国民の怒りを静めるためにも,経済の復興により重点をおくことになるだろう,と云うのが大方の予想である。来夏の参議院選挙までには,怒りの矛先が自民党にならないようにあらゆる努力をしてくるだろう。

しかし,アベノミクスそのものは世界からも疑いの目を向けられ,大手格付けS&Pが日本国債を格下げ「AA−」から「A+」へダウンさせたのはつい最近である。円安,株価上昇に伴い,企業業績が上向いていることは事実であるが,国民の意識に十分な経済成長が見込まれ,豊かになってきたと云う感覚は少ない。

つまり,アベノミクスによる成長戦略は未だに何一つできていない。助成金で購買意欲を上げるような取り組みも,バラマキだけでそれほど効果を上げたとは思えない。見せかけの経済効果では,経済全体が向上しそうにないことは重々判っているはずである。とにかく,無策である。唯一,円安による企業業績の向上は見られたものの,本格的な物価上昇には到底及んでいない。このままでは,軽減税率が云々されてはいるが,消費税10%にもなれば景気は冷え込み国民の負担を強いるばかりで,安全保障法案の強行採決以降,自民党政権の終末へとまっしぐらに突き進んで行くのではないだろうか?

日本国憲法を考えさせられた安保法案の強行採決

今後の民衆の動向に注目

 

[Reported by H.Nishimura 2015.09.21]


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