■転機 4 職場異動 その2 (No.430)
職場異動(その2)
G社との取引も一応軌道に乗り,次の昇格のチャンスが訪れた。これまでは,主任として技術のまとめ役をやっていたが,一段上の課長職へ昇格することができた。これまでは組合員として残業も多かったが,課長職からは完全月給社員として,残業手当ではなく,その代わり管理職手当が付くことになった。職場の責任者になったのである。それは,当時の昇格条件として,違う職種を経験することがあり,ずっと技術職で育ってきた私には,職種転換が課せられた。それは,製造責任者としての仕事だった。これまで技術しか経験の無い私にとって,製造での仕事は技術を剥奪されたような一抹の寂しさがあった。
以前のG社との仕事で,企画から携わったので,物づくりをする工場にまで大きくする経験を技術側面から対応しており,物づくりの初期段階から,製造部門の指導も一部応援したりして,物づくりの難しさ,楽しさなどは少し経験していた。実際に,工場として拡大するに必要なパート作業者の採用にも立ち会い,ベテランの製造者と一緒になって,その新しいパート作業者に製造工程の基本的なことを指導することにも立ち会った。そうした製造経験が少しは役立つことになった。
物づくりだけでなく,電装品を製造するチームとして収支まで担当することになった。つまり,毎月決算検討会があり,チームとしての当月の収支結果,及び向こう3カ月の収支予測を上司に報告する場があった。関係部門の責任者が集い,事業計画に対する差分の分析から,商品毎の収支結果,予測など,今までには経験しなかった経営側面の分析,予測を報告しなければならない立場になった。もちろん,最初はどのように分析したらよいのかも判らず,収支分析を専門に扱う管理部門からレクチャーを受けた。決算検討会ではレクチャヲ受けた内容を理解して報告するのだが,上司及び関係者から鋭い追求があり,回答に詰まることもしばしばあった。しかし,時間と共に次第にそのコツなるものが判るようになってきた。
その当時担当した電装品のチームは黒字で収益が出ていたので,比較的緩やかな追求で,初めての経験の私にとっては負担が少し軽かった。これが赤字のチームならば,毎月の追求は厳しく,如何に黒字化するか,その施策と改善状況を報告,針の筵の状態だった。しかも,誰がやっても,そう簡単に黒字化できるわけでなく,上司も判っていても,追求の手は緩めなかった。同じ場面が一段上の決算報告で,その上司が報告しなければならなかったからである。赤字の事業は,世の中に貢献していない悪い事業と見なされ,改善が見込まれないようだと,その事業は辞めさせられることになっていた。
もちろん,新規事業の初期段階の赤字などは将来の希望を見込んで,ある期間は許容されるが,赤字事業が3年も続く事業は,必ず見直し,或いはそのトップの交代は余儀なくされることになっていた。事業を継続することは収益を上げて社会に貢献することと,肌身で感じることになった。とにかく,収益を得ることが,それに携わる仲間の将来も左右し,事業の厳しさをしみじみと味わう機会となったのである。技術だけをやっていたのでは,味わうことのできない,厳しい現実がそこにあった。
収支を含めた事業計画を立てることも味わった。技術部門では,事業計画を立てるとしても,新製品開発計画など,マイルストーンを設定した開発計画が中心で,収支としては,目標原価(材料費・工数など)と工場出荷価格の差で,管理費などが十分見合うものになっているかどうか,など比較的大まかなものだったが,製造ではそうは行かない。商品毎の原価構成,コストダウン計画,間接費の削減計画,営業要望に応える出荷価格の低減計画,など詳細な分析を基にした事業計画が必要であり,それも上から事業計画を立てる前に,収支目標が出され,それをクリアできる事業計画にしなければ,受け容れて貰えない厳しいものだった。事業計画のやり直しは必ずと云ってよいほどあり,必達計画が求められた。
この製造現場での経験は貴重なものだった。技術経営(Management of Technorogy)を重要視する大きな経験だった。如何に画期的な素晴らしい技術を以てしても,収益を上げ事業に貢献しなければ,社会は必要とは見なされないのである。これまでは,技術者として新技術や画期的な技術などの開発,即ち技術の素晴らしさに優越感を感じ,それが一番の技術者の使命だと思っていたが,物づくりの現場を経験することで,技術の素晴らしさは顧客が感動し,良い商品として買って貰って,初めて世の中に貢献したことになると認識を新たにした。技術を鼓舞しているだけでは,自己満足の世界に留まっていると身に沁みて感じたのである。
職種転換(製造現場での経験)は貴重な経験をさせてくれた!!
経営を実体験で学ぶ機会だった!!
[Reported by H.Nishimura 2015.06.29]
Copyright (C)2015 Hitoshi Nishimura