■転機 3 海外出張 その2 (No.429)
海外出張(その2)
米国出張で,アメリカ人の仕事ぶりも目の辺りにした。日本では,技術者の殆どが毎日残業で頑張っているのが通常だったが,米国ではサマータイムもあって,仕事を定時で終えて明るい間,テニスなどスポーツを楽しむことが当たり前の習慣のようで,一緒に議論をしていても定時になるとサッと帰途に付く技術者が殆どだった。もちろん,アテンドする担当の割り当てが決まっていたようで,一緒に食事するなどして仕事以外の話題にもなった。最初の出張は1週間程度だったので,あっと言う間だった。
その後,数回出張したが,3回目だったか,問題点があって,ソフトウェアの詰めをしなければ前に進まなく,当時,ソフトウェアの開発に用いていたシミュレータを持って出掛けることになった。大きさは数10cm四方の大きさで,段ボールで荷造りされた手荷物で,インボイスには持ち帰りを明記したものだった。大丈夫無事持ち込みできるからとの言葉を不安視しながら出掛けたが,案の定サンフランシスコだったと記憶しているが手荷物検査で引っかかり,荷物はストップさせられた。当時コンピュータの持ち込みは制限があり,インボイスを提示し持ち帰りを前提にしたものであることを説明したが,不十分な説明しかできず,英語力の無さを痛感させられた。1日後だったと思うが,G社の手配で上手く届けられ,当初の目的の解決に役立ったのでホッとした。
また,その後の出張の際,駐在員も忙しく段取りが付かなく,G社の人がバックアップしてくれるからと,一人で出張することもあった。何度か来た経験があったので,それほど心配はなかったが,段取りよくケンタッキーの空港でG社の人がピックアップして,ホテルまで送ってくれた。また,その翌日からの訪問には,ホテルから会社までの送迎をきっちりやってくれた。朝食は独りで,不自由なく済ますことができ,仕事が終わるとG社の誰かが必ず一緒に夕食に連れて行ってくれた。
その間,休日には接待で自宅に呼ばれることも経験した。流石,自宅に招待されて仕事の話をすることはなく,ある時は,小学生のお子さんと日本のことを紹介したり,ある時は,奥さんと日本の現状について話をしたりと,英会話力が不十分な私にとっては,苦痛な一面もあったが,それ以上に親切に接してくれるアメリカ人の家族に触れる貴重な経験できた。そのとき,一番感じたことは,英会話力も重要だが,それよりも日本のことをどれだけ深く知っていて,相手に説明できる力があるか,と云うことが重要であると痛切に感じたのだった。如何に,中途半端にしか日本の事を知らず,十分な説明もできない自分を痛感させられたのだった。日本のことをもっとしっかり勉強しておくことが,海外の人とと付き合うときに如何に大切なことであることを学んだのだった。
結局,そのときの出張は日本人に一人も会わず,G社の人と約3週間に亘り仕事をすることになった。英会話が得意では無いことは以前にも説明したが,独りぼっちになると拙い会話でも自らの言葉で話さないとならない状態に於かれ,駐在員など英会話の達者な人が隣に居ると反って物怖じして会話ができないが,独りでは無我夢中で会話をしていた。こんな独りぼっちの経験はなかなかできることではなく,今後の私の海外でのやりとりに大いなる自信を付けてくれた。
それから1,2年後,続いて新しい製品の納入を始めた。ところが,異常が見つかり,手直しをしなければならない事態が生じた。すぐさま,G社と打合せ,すぐリワーク(手直し)することに決まった。納入場所はロサンゼルスで,そこの工場でリワークすることになり,技術者3人で対応することとなり,私がそのメンバーに選ばれた。駐在員の手配で工場へ行き,G社とリワークの段取りを打合せ,工場内と言っても倉庫の一角にリワークする場所を設定してくれた。
納入した製品は既に商品に組み込まれ,倉庫に山積みされており,リワークのやり方をケンタッキーから来たG社の技術者と打ち合わせた。まず,2m強もある商品をG社の作業員が運び出し,それを受け取り,納入部品の手直しをして元通りにし,再びG社の作業員が元に戻すと云う作業工程になった。1日に20台程度しか手直しできない作業で,2週間強も掛かることになった。ここでもG社の人にたいへん親切にしていただいた。ホテルから工場へ通うのはたいへんだろうと,G社の車を貸してくれ,宿泊も郊外の安いレンタルアパート(食事はついていない簡易宿舎,と云っても十分生活ができる設備は整っている)を紹介してくれた。
作業そのものはたいへんだったが,ペースを掴み出すと順調に進み,週末は全くフリーなので,借りた車でロサンゼルスの有名なところをはしごして廻った。ディズニーランド,ユニバーサル・スタジオはもちろん,それ以上に良かったテーマパークは,ナッツベリー・ファームで,地元で人気があり是非行ってみると良いとG社の人に紹介されたところで,ディズニーよりも混雑が少なく,楽しめる乗り物など豊富で,楽しい一時を満喫したものだった。リワークとは云いながら,週末を楽しく過ごし随分良い思いをしたものだった。この頃になると,米国での生活習慣にも慣れ,自由に飛び回れるようになっていた。
それでも,一番たいへんだったのは電話での対応だった。G社と取引するようになって日本でも直接G社から電話が入り,対応することもあったが,電話では手振りなど身体で表現することができないので結構苦労した。米国出張でも,出張先のロサンゼルスへ日本から電話が入り,ケンタッキー技術者と電話でやり取りする指示が来たことがあった。少しは電話対応も慣れたといえ,米国内で電話での対応,しかも日本語でもたいへんな交渉をするようにとの指示だった。拙い会話力でも,こちらの言いたいことを十分察知して対応してもらい,事なきを得た想い出もある。
海外出張で初めての経験を幾つかすると,その度に一段と成長するような自分がそこにあり,それが自信となり,何にでも対応できるような思いにさせてくれた。数年間のG社との取引は,その2,3倍以上の素晴らしい経験を積むことができ,それ以降の会社生活,及び人生においても貴重な出来事であった。
(続く)
数回の海外出張の後では,大きな自信を付けた自分が居た!!
[Reported by H.Nishimura 2015.06.15]
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