■新製品開発 8 (No.414)
新製品開発の続き。最後に,具体的な商品開発の事例を紹介しておこう。既にこれまで述べてきたように,新製品開発は市場ニーズと技術シーズとの融合したところに生まれる。しかし,実際の新製品開発においては,そう簡単に融合できるわけではない。頭では理解できても,実際の状況においては熾烈きわまりない競争と顧客や市場環境の変化など様々な試練の連続である。絵に描いたようなドラマはなく,泥臭い地道な努力の積み重ねと飽くなき執念が結集してこそ,やっと実を結ぶものなのである。ここではヨーレート(角速度)センサの開発について紹介することにする。
★新技術との出会い
当時,電装品メーカとの付き合いは10年余りになっており,定期的な技術打合せを開催できる関係になっていた。そこで研究所で新たな技術として開発中の角速度を検出できるセンサを紹介することになった。研究所から新しい技術の内容を聞き,それを受け売りのような形で紹介したのが最初だった。当時は,モータで高速回転させ,そこから角速度を取り出すもので,自動車向けとしては高速モータの寿命など課題も多く,せいぜい話題の一つとしての提供に過ぎなかった。
それから2,3年後だったと思うが,研究所で開発が進み民生用として手振れ防止のセンサとして実用化の目処が立ち,私の所属する事業部で引き継ぐことになった。当時の事業部は電装品だけでなく,民生用のユニット品(プリント基板に電子部品を搭載した制御ボード)も扱っており,民生用の開発チームがそれを引き継いで,工場での量産化を目指していた。
★物づくりの苦労
企業として人の育成はいろいろな形で行われ,当時,私達が責任者になるには,少なくとも複数の部署の経験が必須とされ,責任者になる前提(代理が付く状態)で,これまで技術しか経験なかった私は,いきなり製造部門の責任者に異動させられた。経験を積むとはいえ,技術から外されたショックは大きく,2,3年の辛抱と耐えることにした。陸に上がった河童のごとく,製造ではこれまでの技術は役立たず,無力でしかなかった。ただ,人は廻りの環境には意外に従順でき,全く違った感覚での仕事が待っていた。
しかし後からつくづく考えてみると,この経験は人づくりを標榜する企業の仕組みとしては,よくできたもので,再び技術に戻っても,その経験は大いに役立つものだった。製造現場では,先ず,収支計算をみっちり学ばされた。製品単価,利益など大まかな収支は技術者のときから,繰り返し教えられていたので理解していたが,工場の原価計算,固定費の増減,在庫の増減など,更には決算報告と次月,次次月の予測とその差異など,収支に纏わることを隅々まで学ぶ機会になった。この経験から,開発に戻っても,如何に地道な原価の追求が収益に大きく貢献するかを一番身に沁みて感じ取れる技術者になっていた。
また,現場の物づくりでは如何に歩留が大きく左右するかも,身を以て知ることになった。当時の角速度センサは民生用でビデオカメラの手振れ防止に利用されていた。ただ,非常に繊細,且つ物づくりの難しさがあって,最終良品になる歩留が非常に悪かった。歩留が悪い製品は,作れども作れども製造予定数に届かず,予想した投入数では足らず,不良品の山となり,結局はお客様に迷惑掛けることとなり,徹夜に近い状態で物づくりを続けることもあった。多少製造工程は長く時間が掛かっても,確実に良品が作れる工程が,現場では如何に大切かを肌身で感じたものだった。歩留の悪い製品は,納期問題もさることながら,収支面で大きなマイナス要素で,現場では手の打ちようが無いこともしみじみ味わった。
新しい技術が盛り込まれた注目の新しいセンサだったが,物づくりのQCD(品質・コスト・納期)のどれもが赤点状態で,顧客からの苦情はもちろん,収支的にも工場経営の足を引っぱり,散々な出来映えであった。当然,このような製品は永続きせず,製造中止に追い込まれてしまった。
★電装品としての再開発
製造現場の責任者から,工場の一部であった電装品を扱うチーム組織ができ,工場技術なども一緒にみる立場になっていった。その間,再び研究開発部門で,角速度センサを電装品向けに開発するプロジェクトがスタートしていた。これまでの民生品としての繊細なものから,電装品仕様として,車載環境に十分耐え得る構造に変更が加えられていた。製造現場から研究開発部門を遠目に見ていたが,数年後,製造現場から再び開発の責任者として,角速度センサの開発に携わることになった。
開発責任者を引き継いだ時点では,電装品として自動車メーカに対応を始めて間もない頃で,製造現場からも開発状況は幾分は把握していたので,問題点の整理もある程度はできていた。若い技術者10数名を抱え,自動車メーカの意向を把握しながら,角速度センサの売り込み,と云っても営業ではないので,自動車メーカの技術者相手に,要望を聞きながら開発を進めるのだった。当時,ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)制御は,急ブレーキによる車の滑りを防止するシステムとして,Gを検出するものでは不十分で,車体の回転を検出できる角速度センサを必要とされており,自動車メーカの技術者の関心も高かった。ABS制御が流行だったのか,自動車メーカから同じような引き合いが相次ぎ,角速度センサの開発が脚光を浴び始めた。
引き継いだ時点では,いろいろな課題が残っており,メンバー全員が意思統一できるように試みた。全員を集めて説明したメモ書きが残っている。(仕事内容の見直しと役割分担の明確化)
- プロジェクトがなかなか思うように進んでいない。(内部でも,顧客に対しても)
- 全体の動きが曖昧なままである。(誰が,何を,いつまでに,どのターゲットに対して)
- このセンサで成功しないと,今後の電装品事業の継続は難しい
- M社に勝つ(電装品としての優位性,コストパーフォーマンスある商品に仕上げる)
メンバー全員で課題認識を共通化させることから始めた。先ず開発責任者に復帰してから,開発の進め方を全員で見える化するように,A2サイズの目盛用紙に横軸に日程,縦軸にやるべき仕事の詳細を全員が網羅される形で作り,上段のスケジュールは,大きな開発日程,特に,自動車メーカの開発スケジュールに合わせた,DRなどマイルストーンを明確に示した。毎週初めに,1時間余り全員で打合せを行い,この大きなPERT図を基に,先週の実績と,2週間程度先までの各仕事分担の予定を入れることにした。右上には,原価目標など目標値が明確になるようにした。この用紙を居室の壁に貼りだし,A3にコピーしたものを各自に配布した。上司などプロジェクト状況の報告は,このA2のPERT図一枚ですべて要を達した。
このやり方は,プロジェクト終了まで続けた。メンバーの各人が,プロジェクト全体の把握,特に何が一番問題で,どの部分がクリティカルパスになっているかは,一目で理解できるようになっており,自分の全体の中での役割も明確だった。ただ,クリティカルパスを担当する人にとっては,自分がプロジェクトの成否を握っていると,大きな負担を掛けたことにはなったが,全員で何とかやりきろうと云う協力姿勢を欠かす人は居なかった。今では,MSチャートなどコンピュータ上で簡単に作成できるものだが,当時,このような形でPERT図を利用してプロジェクトを進めていたのは,私達のグループだけだった。(もちろん,土木・建設など大掛かりなプロジェクトには必須のやり方であった。)
★競合他社との競争
当時,電装品の角速度センサとしては,光ファイバージャイロとして,非常に高額なセンサは存在していたが,ナビゲーションなど特殊な用途に限られ,車体制御をできるセンサは皆無だった。しかし,民生用としては,当時,M社がエレクトロニクスショー(現在のシーテックCEATEC JAPAN 国内最大のエレクトロニクスの展示会)で,2輪車を自動走行できると謳い大々的に発表した角速度センサで,展示会会場で黒山の人だかりができるほどの人気を博していた。話が多少前後するが,我々が民生品で苦しんで居た中,M社は小型化でプリント基板に搭載可能なビデオ手振れ防止センサとして,確実に先行していた。ただ,自動車用途にも使えると,電装品仕様にもアプローチしていたが,車に搭載されるまでには到っていなかった。
そんな中,自動車メーカからの引き合いが各社から舞い込み,角速度センサの開発状況とその説明に殆どの自動車メーカを廻ることになった。そうして自動車メーカのM社とN社から,ABS制御のヨーレートセンサとして正式な引き合いがあった。当時,車両開発日程は2年先まできっちりスケジューリングされ,DR(デザインレビュー)の関門をパスできない限り,次のステップへの開発はできなかった。M社は比較的早い段階で,我が社のセンサの優位性を見出し,比較的早い段階で我が社に絞られた。しかし,新技術を搭載したセンサの採用は簡単ではなく,突きつけられた改良には時間を要した。先方の技術者の性格にも依るが,比較的気長に見守るような形で改良を続けさせてくれた。
一方,N社は慎重で,2社の競合のまま,実験車に取り付けたセンサのABS制御の性能確認が行われ,その性能結果に対して,細かく説明があり,改善点を要求された。また,この時点での製品性能では,角速度センサをナビゲーションに採用するには,時間的なドリフトが大きすぎ,積算されるナビゲーションではとても使い物にならない状況であった。最終的には,ABS制御としてセンサの性能そのものと制御動作は確実なものだったが,ネガがあり,それを解決するには時間が足りない。そのネガとは,サーキット走行で「接地感が小さく,車がドライバーの予想と違う」ことだそうである。これはセンサだけの問題ではなく,ソフトでの制御問題もあり,それらを解決するには時間が無く,当時メインの2,3車種に狙いを付けられていたが,商品企画として断念(車種への搭載を見送り)せざるを得ない,とのことだった。
自動車メーカT社からも引き合いはあったものの,傘下に電装品メーカを抱えていた事情もあり,早い段階で引き合いは途切れた。後日判ったことだが,構造はほぼ同じであるが,大きさは数倍もある巨大な角速度センサの開発が進められていたようで,性能や品質は確実なようだが,とてもコストが合うとは思えないものだった。そのもので少しは量産化されたと思われるが,他社へのセンサ納入が始まってしばらくして,結局は我が社の角速度センサが再度引き合いに上がり,検討結果,搭載されることになった。
(続く)
実際の開発プロジェクトでは,想定外のできごとが発生する
如何に,全員のベクトルを合わせて進めるかが成功のカギである
[Reported by H.Nishimura 2015.03.02]
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