■世界遺産を考える 3 (No.409)
世界遺産論で学んだことについて述べる。(続き)
新しい世界遺産を創出し,1000年先まで継続するにはどうすればよいか?
これが講義終了時の最終回に出されたテーマで,時間内に記述せよと云うのが試験である。もちろん,何を持ち込んでも構わないし,事前に作成しておいても構わないと云うものであった。だから,このエッセイにも,記述した内容をアップすることにしてみる。
新しい世界遺産を創出すると云っても,いきなり何から書き出してよいか戸惑ってしまう。そこで,先ずこれまで授業で学んできた世界遺産について,いつの代までも継承することが重要であり,それについて考えてみることにする。
継承するために何が必要か
美しいと感じるもの,いつまでも残しておきたいと思う宝物(世界遺産に登録されるようなもの)を次世代,孫の世代までといつまでも継承すること自体に異論を唱える人は少ない。良いものを自分たちの世代で終わらそうとする人は少ない。その純粋な気持ちと裏腹に,人間の利害関係が結びつくから厄介な問題が生じる。即ち,自然保護を大切にと訴える人と,自然保護は大切だが,それだけでは飯が食えないと訴える人との対立である。世界遺産のあるところに必ずと云ってよいほど起こっている対立の構図である。
もう一つ,世界遺産の保護には,いろいろな面で保全が必要で,ボランティアがそれを担っているところが多い。しかし,これにも限界があり,若い人の参画が少なく,高齢化が進み,思うように保全ができない問題が持ち上がっている。世界遺産に対する世代間格差である。安定して保全が継続するには,世界遺産に関わりがある人(地元の人々,観光客,関連団体など)が,一致協力して保全に当たることが重要である。こうした保全の仕組みが上手く廻るようにしようとされているが,なかなか思い通りにはなっていないのが現状である。
観光客は一時的な関わりだけで終わるが,地元の住民は年がら年中世界遺産と向き合わなければならない。つまり,地元住民の参画,支援無しには,世界遺産の保護は成り立たない。その住民の利害は様々で,観光客相手に商売で儲かる人も居れば,遺産保護の規制によって,林業など以前のように自由に伐採,植林などができず,生計に支障を来している人も居る。或いは,観光客の増加によるゴミ処理の問題に悩まされる地元もある。世界遺産の登録による急激な変化(観光客の急増など)は,地元住民の生活を脅かすことにもなっている。要は,地元住民の生活の一部に,世界遺産保護の活動が溶け込んでいるかどうかに掛かっているように思われる。
そのためには,世界遺産を守る自然保護の活動と快適な生活を望む住民の思いとが上手くバランスの取れた状態が維持されていなければ,継続することは難しい。もちろん,過渡的な状態として,自然保護が優先されたり,逆に快適な生活のための開発に重点が置かれたりすることはあっても,永続的に両者がバランスが取れた状態になっていることが必要不可欠ではないかと思われる。もちろん,定期的な会合などで,住民の意見が十分交わされ,お互いが納得しながら生活ができることである。
世界遺産の確実な継承をするには,やはり世代間を超えた共通認識が重要で,そのためには,先ず親が子供に,世界遺産の重要性を伝え(目的や狙い,その背景にあったものなど),正しく教えることである。情報が氾濫しているので,親が教えずとも自然に知識として知りうることは容易に想像できるが,親がきっちり子供に教えることはIT時代にあっても必要で,教育の基本である。三つ子の魂百までとの諺もあるように,小さい頃に教わった記憶は一生涯持ち続けるものである。また,見よう見まねだけでは,意志が十分伝承できないことも起こり得るので,きっちりとしたルールや仕組みづくりも必要である。もちろん,時代背景によって変化も起こりうるので,定期的な(普通はルールなどは5年毎に)見直しも必要で,見直しが繰り返されることが,世代間の継承にもなる。
先般紹介された大沢の池の修復に関して感銘を受けた。昔の元通りに復元することは容易なことではない。元通りが真に正しいかどうかの証明は,証拠となる図面や絵画があればよいが,庭や池など創った当時の人の感覚で変えられ,出来上がったものそのものでしかない。そのものが時代を経て廃れてしまっていると,確証を得ることができなくなってしまっている。それなのに,1200年も前の人の思想・考えが,嵯峨御流と云う生花に伝承されてきている素晴らしきものを見出したことには感服した。永く伝承されるものとはこういったものかと再発見させられた。
新しい世界遺産の創出について
これまでの世界遺産は,殆どが先人の遺産であり,過去1200〜1300年間に創り出された,或いは自然の成り立ちで出来上がったものばかりである。それらを大切に未来に引き継ぐことは重要なことであるが,我々の時代に世界遺産を創造することはできないものだろうか?次はそれについて考えてみることにする。
廻りをよく見渡してみると,まだまだ世界遺産に匹敵すると思われる大切な日本の宝が一杯あるように感じている。それらを世界遺産に相応しいものであることと見出すことが一つの方法である。その代表例として,伊勢神宮などが挙げられるのではないか。日本の神道の源であり,天照大神が祀られ,年初には歴代の総理大臣が参拝される日本の代表的な神社である。式年遷宮を始め数々の催しは,古式豊かに1000年以上続けられている。20年に一度建て替えられているとか,世界遺産への申し出がないとか,言われているようだが,これほど世界遺産に相応しいものは他には無いのではと感じている。見方を変えれば,今更世界遺産へ登録するまでも無い,と云うのが素直な日本人としての気持ちかも知れない。
また他方では,江戸時代の陸上の主要交通路だった五街道(東海道・中仙道・日光街道・奥州街道・甲州街道)が江戸を起点として設けられ,一里塚が整備され,宿場も一定間隔で作られ,今も残っている。世の移り変わりで,昔の面影は無くなってしまっているが,街道そのものは現在も存在している。昨今では昔を懐かしみ歩いて廻る人も結構多い。戦後から高度成長期までの時代よりも,改めて見直されてきている感もあり,実家の前の中仙道を歩く人など生まれてこの方見掛け無かったが,最近は数人,或いは数十人の団体で散策して廻っている人をよく見掛ける。
数100kmに及び地元と云っても多くの県・都市に跨り,世界遺産として申請することには困難が多いと思われるが,近代国家を形成していった重要な幹線道路で,重要な遺産であることには違いない。世界遺産としては,世界では巡礼など文化的意義の深いものしか認められていないようであるが,観光立国を目指している日本としては,大切な財産であり,外国人に日本の本当の良さを知ってもらうためには,街道を巡り,古き日本の伝統の良さを知って貰うには,誠に有効な手段の一つではないかと感じている。ただ,今日の京都の実態を知ると,日本の素朴な街並み,田舎の素朴な人の心などが,世界遺産に登録されることによって,中国人や韓国人に荒らされると想像すると今のままの方が良い気がするのは私だけだろうか?
さらには,伝統工芸と云われるものの中にも,日本固有の優れた技術が結集されている。京都には優れた工芸品が数々ある。西陣織,京友禅,清水焼,京人形,京仏具などどれも日本を代表する伝統工芸品であり,大切に守られている。世界遺産の対象にはならないものかもしれないが,世界遺産同様,大切に未来へ継承すべきものばかりである。ただ,これらの多くが数多くの工程を経て成り立っているもので,一部の工程の後継者が居なく,工芸品として維持することが難しくなってきている現実がある。実用的で無いものは廃れて行くのは,世の常ではあるが,世界遺産と云わなくとも,古き良き伝統を切らさずに継承し続けるのは,我々の世代に課せられた重要な役割ではないだろうか。こうした古き良き伝統を大切にする風土づくりこそ世界遺産を創り出す道筋ではないだろうか。
古いものを再発見し,世界遺産に登録するのも一つの方法だが,他方,現状の生活に溶け込み実用として使っているものの中にも,時代を変えるような重要な発明品・取り組みも無い訳ではない。例えば,超特急の新幹線,これは現代の日本社会形成に大きく関与し,日本の高度成長期を支えたもので,安全神話と共に世界に誇れるものである。また,「はやぶさ」に代表される日本の宇宙開発,JAXA,種子島宇宙センターの役割なども,世界に誇れる重要な日本の宝である。実用として活用している現在では遺産とは云わないが,時代が進んで振り返ってみると,20世紀から21世紀に掛けての偉大な遺産に格上げされることもあり得るのではないだろうか。
文化・文明の発達を促すものの足跡には何らかの素晴らしいものや,形或るものではなく無形のものもある。こうした大切なものを大事にする心を持ち,次の世代へと引き継いで行こうとする活動が,やがては歴史的な世界遺産へと発展し,次の世代へ継がれて行くことになる。こうした地道で着実な活動,それがやがて,新しい世界遺産の創造に結びつくのではないだろうか。
新しい世界遺産の創出は容易なことではない
日本が誇れる良きもの,それを大切にする心こそ世界遺産への歩みの一歩である
[Reported by H.Nishimura 2015.01.26]
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